自己紹介

今回の記事をとにかく後に残せるような資料にしたい。

2014年10月21日火曜日

慰安婦巡るクマラスワミ報告、政府が一部修正を要請 2014年10月16日

少し昔jの記事ですが、クマラスワミ証言に対する記事です。
これ、新聞の紙面には見当たらないような気がするのですが
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慰安婦巡るクマラスワミ報告、政府が一部修正を要請
2014年10月16日
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 旧日本軍の慰安婦問題に関し、国連人権委員会(現・理事会)の特別報告官が1996年にまとめた「クマラスワミ報告」について、菅義偉官房長官は16日午前の記者会見で、日本政府がこの報告を作成したスリランカの法律家ラディカ・クマラスワミ氏に対し、「見解を修正するよう求めた」と述べ、一部修正を要請したことを明らかにした。

 外務省によると、修正を申し入れたのは、報告のうち、慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の著作を引用した部分。外務省の佐藤地(くに)・人権人道担当大使が14日、ニューヨークでクマラスワミ氏と面会し、修正を求めたという。菅氏や同省によると、クマラスワミ氏は「証拠の一つに過ぎない」として、修正を拒んだという。菅氏は「国連をはじめ国際社会に粘り強く説明し、理解を求めたい」と述べた。

 朝日新聞は8月5、6日の朝刊に掲載した慰安婦の特集記事で吉田氏の証言を虚偽と判断し、証言を報じた過去の記事を取り消した。菅氏は会見で、修正を求めた理由として、朝日新聞が記事を取り消したことを挙げた。報告は、吉田氏の証言を含めて、朝日新聞の報道を引用していない。

 報告のうち、吉田氏に関する記述は英文字で約300字。同氏の著書からの引用だと明記したうえで「国家総動員法の一部として労務報国会のもとで自ら奴隷狩りに加わり、その他の朝鮮人とともに千人もの女性たちを『慰安婦』任務のために獲得したと告白している」と記述。現代史家・秦郁彦氏が吉田氏の著作に異議を唱えたこともあわせて掲載している。

     ◇

 〈クマラスワミ報告〉 国連人権委員会の「女性に対する暴力」の特別報告官だったスリランカの法律家、ラディカ・クマラスワミ氏が1996年に戦時中の旧日本軍の慰安婦問題についてまとめた報告。慰安婦を「軍事的性奴隷」と位置づけ、日本政府に法的責任を認めることや、被害者への補償など6項目を勧告した。報告作成にあたって日本や韓国を訪問し、元慰安婦や研究者らに聞き取りをした。

2014年10月19日日曜日

委員会が3つある

さて、先ほどの記事で田原総一朗氏のいる委員会に
追加メンバーとして江川紹子氏が招かれたのかと思っていましたが、
どうもそうではないようです。

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「報道と人権委員会(PRC)」・・・・社内
★(福島第一原発の)吉田調書の検証

第三者委員会・・・・7人
★慰安婦報道
中込秀樹(弁護士)
田原総一朗
岡本行夫
北岡伸一
波多野澄雄
林香里氏
保阪正康


信頼回復と再生のための委員会・・・・8人
★2つの委員会の結論を踏まえ、朝日新聞の再生プランの策定
・社内委員
飯田信也(委員長)
西村陽一(委員長代理)
持田周三
福地献一
・社外委員
江川紹子
国広正
志賀俊之
古市憲寿
(敬称略)
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どうもうさんくさいですね。この仕組み

「信頼回復と再生のための委員会」初会合 朝日新聞社 2014年10月19日 1面

まだ、11面を書き写せてはいないのですが、
まずは1面を。


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「信頼回復と再生のための委員会」初会合 朝日新聞社
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 http://www.asahi.com/articles/DA3S11409723.html
 
 朝日新聞社は18日、慰安婦報道など一連の問題を受けて立ち上げた「信頼回復と再生のための委員会」の初会合を東京都内で開きました。社外委員からは、当社の存在意義や理念を自ら問い直すよう求める声が相次ぎました。
▼11面=社外委員4氏の視点


 会合には社外委員4人、社内委員4人の全員が出席。当社側が一連の問題の経緯を説明したのに対し、弁護士の国広正委員は「朝日新聞社の存在意義を現場の視点から議論すべきだ」と提案しました。

 ジャーナリストの江川紹子委員は、戦後まもなく定めた「朝日新聞綱領」に触れ、「綱領は作り直すべきだ。その過程で、どういう新聞社にしたいかを社員が真剣に考えることになる」と話しました。

 日産自動車副会長の志賀俊之委員は自社の経営再建の経験から「再生プランは将来への成長戦略とともに、従業員一人ひとりのコミットメント(責任を持って関わること)が必要だ」と指摘。社会学者の古市憲寿委員も「メディア業界全体への失望が漂っている。自分たちで業界を変えていく意識が大切だ」と述べました。次回の委員会は31日に開く予定です。


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この内容を見ると、どうやら「信頼回復と再生のための委員会」は8人で全員のようです。
何ともどうしようもない人しか集まっていないように思えます。

これで、まともな話になるのでしょうか?

2014年10月2日木曜日

大学への脅迫 暴力は、許さない 2014年10月2日

10月2日の社説です。朝日新聞のみなさまはずいぶんと知恵を絞っていらっしゃるようです。
謝罪そのものは福島第一原発の吉田証言や池上彰さんのコラムの件とセットにし、
朝日新聞への批判はヘイトスピーチや過去の赤報隊の件と一緒にしようとしています。

彼らの必死の防戦といいますか、、
そうまでして慰安婦の問題は意図的に流した捏造であることを隠したいのでしょう。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11380593.html

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(社説)大学への脅迫 暴力は、許さない
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自由にものを言う。

学びたいことを学ぶ。

それらを暴力によって押しつぶそうとする行為を、許すわけにはいかない。

 かつて慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者が教授を務める帝塚山学院大(大阪狭山市)に9月、別の元記者が 非常勤講師を務める北星学園大(札幌市)には5月と7月、それぞれの退職を要求し、応じなければ学生に危害を加えるという趣旨の脅迫文が届いた。警察が威力業務妨害の疑いで調べている。

 「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」

 「元記者を辞めさせなければ天誅(てんちゅう)として学生を痛めつける」

 北星学園大には、「爆弾を仕掛ける」という内容の電話もあったという。

 攻撃の対象は元記者本人にとどまらない。家族までもがネット上に顔写真や実名をさらされ、「自殺するまで追い込むしかない」「日本から出て行け」などと書き込まれた。

  朝日新聞は8月、過去の慰安婦報道について、女性を強制連行したと証言した吉田清治氏(故人)に関する記事を取り消した。間違った記事を掲載してしまったことに対して多くの批判が寄せられており、真摯(しんし)に受け止めている。
  しかし、だからといって学生を「人質」に、気に入らない相手や、自分と異なる考えを持つ者を力ずくで排除しようとする、そんな卑劣な行いを座視するわけにはいかない。このようなことを放任していては、民主主義社会の土台が掘り崩されてしまうだろう。

 「反日朝日は五十年前にかえれ」。1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に男が押し入り散弾銃を発砲、記者1人が殺害された。犯行声明に使われた「反日」は、当時はあまり耳慣れない言葉だった。

 あれから27年。ネットや雑誌には「反日」「売国奴」「国賊」などの言葉が平然と躍っている。社会はますます寛容さを失い、異なる価値観に対して攻撃的になってはいないか。

 意見を述べ合い、批判し合う自由こそが社会を強く、豊かにする。戦後約70年をかけて日本が築きあげてきた、多様な言論や価値観が交錯する社会を守りたい、暴力に屈することのない社会をつくっていきたいと、改めて思う。

 朝日新聞への批判から逃げるつもりはない。しかし、暴力は許さないという思いは共にしてほしい。この社会の、ひとりひとりの自由を守るために。

2014年9月30日火曜日

ご愛読者のみなさまへ


朝日新聞と一緒に添えられていたという文章です。
これも書き起こしました。
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ご愛読者のみなさまへ

 謹啓

 厳しい暑さもようやく和らぎ、秋冷の心地よい季節となりました。いつも朝日新聞
をご愛読いただき、厚く御礼を申し上げます。

 さて、過日の記者会見と紙面でもご説明させていただいたところですが、このたびはみ
なさまの信頼を損ねる事態を招きましたこと、深くおわび申し上げます。申し訳ござい
ませんでした。新聞は正確な記事に対する信頼に支えられてこそ成り立つものです。そ
の信頼を大きく傷つけた責任を痛感しております。

 会見のあと、たくさんの方々から厳しいお叱りの声が寄せられました。貴重なご指摘
も数多くいただきました。再生に向けた課題として重く受け止め、参考にさせていただ
きます。

 福島第一原発事故に関する吉田調書の記事をめぐる取材・報道の問題点や、記
事の影響などについては、弊社の第三者機関である「報道と人権委員会」に審議を申
し入れました。また、慰安婦関連記事の取り消しが遅れたことの影響などについては、
新たに立ち上げる第三者委員会に検証していただくことにしております。いずれも朝
日新聞社外の目で厳しいご審議を仰ぎ、結果はすべて紙面でお伝えいたします。

 これとは別に、新しく就任した西村陽一・取締編集担当のもと、社内に「信頼
回復と再生のための委員会」を立ち上げました。朝日新聞の今回の報道が誤った最
大の原因はどこにあるのか、記者教育、研修のあり方を含めて曇りのない目で総点検
し、正確な記事を重んじる報道姿勢を再構築してまいります。

 信頼の回復を目標に、再生に向けて会社一丸となって精進してまいります。どうか、
引き続き厳しい目で朝日新聞を見守り、いま一度チャンスを与えていただけますよう、
お願い申し上げます。

 末筆ながら、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
                                                                            謹白

                                                        朝日新聞代表取締役社長
                                                                        木村 伊量

朝鮮の女性 私も連行 1982年9月2日(大阪版)

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朝鮮の女性 私も連行

元動員指揮者が証言

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 関東大震災の混乱の中で、多数の朝鮮人が虐殺されてから五十九年目の一日夜、大阪で催された「旧日本軍の侵略を考える市民集会」で、かつて朝鮮人の強制連行の指揮に当たった動員部長が、悲惨な「従軍慰安婦狩り」の実態を証言した。戦後もずっと語られることなく葬られてきた朝鮮人慰安婦の歴史、それをいま、「戦争で中国にいた日本軍兵士で朝鮮人慰安婦と接触しなかった人は一人もいなかったでしょう」と思い口を開く姿に、約五百人の参加者はしんとして聞き入った。

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暴行加え無理やり

37年ぶり 危機感で沈黙破る

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 この人は東京都文京区千石四丁目、吉田清治さん(六八)。昭和十七年秋、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長に就任した。以後三年間、十数回にわたり朝鮮半島に行った。直接指揮して日本に強制う連行した朝鮮人は約六千人、うち九百五十人が従軍慰安婦だったという。

 
 この日、大阪・浪速解放会館での集会で演壇にたった吉田さんは「体験したことだけお話します」といって切り出した。

 「朝鮮人慰安婦は従軍慰問女子挺(てい)身隊という名で戦場に送り出しました。当時、われわれは『徴用』といわず『狩り出し』という言葉を使っていました」。そして十八年の初夏の一週間に済州島で二百人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」時の状況が再現された。

 朝鮮人男性の抵抗に備えるため完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついてトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。ボタン工場で働いていた女子工員、海岸でアワビを採っていた若い海女・・・・・。連日、手当たり次第の「狩り出し」が続いた。

 「泣き叫ぶというような生やさしいものではない。船に積み込まれる時には、全員がうつろな目をして廃人のようになっていた」

 約一時間、淡々とときに苦悩の色をにじませながら話す吉田さんは「かわいそうだという感情はなかった。徹底した忠君愛国の教育を受けていたわれわれには、当時、朝鮮民族に対する罪の意識を持っていなかった」と声をふりしぼった。

 教科書問題にも吉田さんは触れた。「戦後の日本の歴史教科書はこういった事実がいっさい書かれてこなかった。というより、その教科書を改め、戦前の教育に逆行する動きさえあるじゃないですか」。低血圧で時々目まいがするという吉田さんに三十七年の沈黙を破らせたのは、こうした歴史の逆流傾向に対する危機感だという。



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この記事は大阪版で入手できなかったのですが、やはり今回の記事に当たり、書き起こすことにしました。
Webに画像はいくつも上がっているので、それからの書き起こしです。


ところで、気になるところがいくつかあります。

・冒頭の1行目
「関東大震災の混乱の中で、多数の朝鮮人が虐殺されてから五十九年目の一日夜、」
関東大震災時の朝鮮人大虐殺を事実としてさらっと書いています。

・「旧日本軍の侵略を考える市民集会」・・・この集会も何とも胡散臭さを感じます。


・「この人は東京都文京区千石四丁目、吉田清治さん(六八)。」この当時は住所を思いっきり書くんですね。そして、この住所ですが1986年には千葉県我孫子市に変わっています。引っ越したのでしょう。
参考:
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/198679.html
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/7719911125.html


・「大阪・浪速解放会館での集会」・・・・場所がここだとすると、この会の旗を振ったのは
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/198679.html
で出てきた上杉聡さん(当時三四)ではないでしょうか?

・「教科書問題にも吉田さんは触れた。」
金学順の公園でも気になったところです。金学順さんのときはこうです。
 「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣すると言ってるじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです」
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/blog-post_17.html

金学順のときはPKO、このときは教科書問題、どうも朝鮮人従軍慰安婦にもう一ネタ合わせるのが彼らの得意技のようです。



・朝日新聞のデータベースだと(清田治史記者)となっているようです。

2014年9月29日月曜日

「慰安婦特集記事の一部を訂正します」の解説 


http://www.asahi.com/articles/DA3S11375306.html

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慰安婦特集記事の一部を訂正します 
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 8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える(上)」で、朝日新聞社は、韓国・済州島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽だと判断し、吉田氏に関する記事を取り消しました。初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、「執筆した大阪社会部の記者(66)は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』と話す」と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました。おわびして訂正します。

 元記者は社内の取材班の調査に対し、当該記事を含めて吉田氏に関する記事を数本書いたと認めていました。しかし、元記者がその後、海外への渡航記録を調べたところ、大阪市内で講演のあった82年9月1日時点で国内にいなかったことが判明し、記憶違いであることが確認されました。その後の吉田氏に関する記事は実際に書いていました。

 特集記事の掲載後、当時の大阪社会部にいた別の元記者が「吉田氏の記事を書いたことが1度だけある。初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出ています。

 初報が掲載された経緯については近く設置する第三者委員会の調査結果を踏まえて紙面でご説明します。

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記事は記事でよいのですが、
3点、やはり気になる内容があります。
①「8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える(上)」」の度の記事のことなのか?
②「初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事」はどれなのか?
③「執筆した大阪社会部の記者(66)」は誰なのか?

です。

それでは、確認していきましょう。
①は
「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断 
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/201485_29.html
です。

②は(今回書き起こしました)
朝鮮の女性 私も連行
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/198292.html
になります。

そして③は
清田治史 ではないかと思われます。
ネット情報なのですが朝日新聞のデータベースではこの記事には((清田治史記者)の署名が
入っているそうです。