前回の「従軍慰安婦」に続く吉田清治氏紹介のコラムです。
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/08/1992123.html
1992年(平成4年)3月3日(夕刊) 1面
窓 論説委員室から
歴史のために
従軍慰安婦を強制連行した吉田清治さんの告白がこの欄(一月二十三日付)で紹介された。その後、たくさんの投書をいただいた。
去年、本誌と朝日放送が協力して進めた年間企画「女たちの太平洋戦争」にも、投書が相次いだ。担当者と話していて気づいたことがある。それは日本軍の残虐行為はなかったとか、公表するなとかいう人の論拠には、共通する型がある、ということだ。
①そんなことは見たことも聞いたこともない。軍律、兵隊の心情にてらしても、それはありえない。もし事実だとしてもそれは例外で、一般化するのは不当である。なかには自己顕示欲や膨張癖のために、ゆがめられた話もあるだろう。
②自虐的に自国の歴史を語るな。子孫たちが祖国への誇りを失ってしまう。それに、戦争が庶民を犠牲にすることは分かりきっている。過去を語っても無益。早く忘れよう。
③日本軍の残虐行為を知ったら、遺族は、わが父、兄弟も加わったかと苦しむだろう。そのつらさを考えよ。また、戦友は祖国のために命を捨てた。英霊を冒涜(ぼうとく)するな。
以上のように主張する人々の気持ちはよくわかる。誰にも理屈だけでは動きたくない情というものがある。しかし、それだけでいいのか。自問せざるをえない。
朝日放送が投稿をもとにドラマを作成し、昨年末朝日系列テレビ各局が放送した。劇中高等女学校の生徒たちが兵隊の褌(ふんどし)を洗う場面があった。たちまち、抗議の手紙、電話である。
「帝国軍人が、女学生に褌を洗わせるなどということは、断じてない」
大阪府下に住む投稿者が、母校に保存されていた学校日誌で記録を確認した。
「陸軍需品支廠ヨリ依頼ノ軍用褌洗濯作業開始」
知りたくない、信じたくないことがある。だがその思いと格闘しないことには、歴史は残せない。
<畠>
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