自己紹介

今回の記事をとにかく後に残せるような資料にしたい。

2014年10月21日火曜日

慰安婦巡るクマラスワミ報告、政府が一部修正を要請 2014年10月16日

少し昔jの記事ですが、クマラスワミ証言に対する記事です。
これ、新聞の紙面には見当たらないような気がするのですが
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慰安婦巡るクマラスワミ報告、政府が一部修正を要請
2014年10月16日
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 旧日本軍の慰安婦問題に関し、国連人権委員会(現・理事会)の特別報告官が1996年にまとめた「クマラスワミ報告」について、菅義偉官房長官は16日午前の記者会見で、日本政府がこの報告を作成したスリランカの法律家ラディカ・クマラスワミ氏に対し、「見解を修正するよう求めた」と述べ、一部修正を要請したことを明らかにした。

 外務省によると、修正を申し入れたのは、報告のうち、慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の著作を引用した部分。外務省の佐藤地(くに)・人権人道担当大使が14日、ニューヨークでクマラスワミ氏と面会し、修正を求めたという。菅氏や同省によると、クマラスワミ氏は「証拠の一つに過ぎない」として、修正を拒んだという。菅氏は「国連をはじめ国際社会に粘り強く説明し、理解を求めたい」と述べた。

 朝日新聞は8月5、6日の朝刊に掲載した慰安婦の特集記事で吉田氏の証言を虚偽と判断し、証言を報じた過去の記事を取り消した。菅氏は会見で、修正を求めた理由として、朝日新聞が記事を取り消したことを挙げた。報告は、吉田氏の証言を含めて、朝日新聞の報道を引用していない。

 報告のうち、吉田氏に関する記述は英文字で約300字。同氏の著書からの引用だと明記したうえで「国家総動員法の一部として労務報国会のもとで自ら奴隷狩りに加わり、その他の朝鮮人とともに千人もの女性たちを『慰安婦』任務のために獲得したと告白している」と記述。現代史家・秦郁彦氏が吉田氏の著作に異議を唱えたこともあわせて掲載している。

     ◇

 〈クマラスワミ報告〉 国連人権委員会の「女性に対する暴力」の特別報告官だったスリランカの法律家、ラディカ・クマラスワミ氏が1996年に戦時中の旧日本軍の慰安婦問題についてまとめた報告。慰安婦を「軍事的性奴隷」と位置づけ、日本政府に法的責任を認めることや、被害者への補償など6項目を勧告した。報告作成にあたって日本や韓国を訪問し、元慰安婦や研究者らに聞き取りをした。

2014年10月19日日曜日

委員会が3つある

さて、先ほどの記事で田原総一朗氏のいる委員会に
追加メンバーとして江川紹子氏が招かれたのかと思っていましたが、
どうもそうではないようです。

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「報道と人権委員会(PRC)」・・・・社内
★(福島第一原発の)吉田調書の検証

第三者委員会・・・・7人
★慰安婦報道
中込秀樹(弁護士)
田原総一朗
岡本行夫
北岡伸一
波多野澄雄
林香里氏
保阪正康


信頼回復と再生のための委員会・・・・8人
★2つの委員会の結論を踏まえ、朝日新聞の再生プランの策定
・社内委員
飯田信也(委員長)
西村陽一(委員長代理)
持田周三
福地献一
・社外委員
江川紹子
国広正
志賀俊之
古市憲寿
(敬称略)
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どうもうさんくさいですね。この仕組み

「信頼回復と再生のための委員会」初会合 朝日新聞社 2014年10月19日 1面

まだ、11面を書き写せてはいないのですが、
まずは1面を。


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「信頼回復と再生のための委員会」初会合 朝日新聞社
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 http://www.asahi.com/articles/DA3S11409723.html
 
 朝日新聞社は18日、慰安婦報道など一連の問題を受けて立ち上げた「信頼回復と再生のための委員会」の初会合を東京都内で開きました。社外委員からは、当社の存在意義や理念を自ら問い直すよう求める声が相次ぎました。
▼11面=社外委員4氏の視点


 会合には社外委員4人、社内委員4人の全員が出席。当社側が一連の問題の経緯を説明したのに対し、弁護士の国広正委員は「朝日新聞社の存在意義を現場の視点から議論すべきだ」と提案しました。

 ジャーナリストの江川紹子委員は、戦後まもなく定めた「朝日新聞綱領」に触れ、「綱領は作り直すべきだ。その過程で、どういう新聞社にしたいかを社員が真剣に考えることになる」と話しました。

 日産自動車副会長の志賀俊之委員は自社の経営再建の経験から「再生プランは将来への成長戦略とともに、従業員一人ひとりのコミットメント(責任を持って関わること)が必要だ」と指摘。社会学者の古市憲寿委員も「メディア業界全体への失望が漂っている。自分たちで業界を変えていく意識が大切だ」と述べました。次回の委員会は31日に開く予定です。


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この内容を見ると、どうやら「信頼回復と再生のための委員会」は8人で全員のようです。
何ともどうしようもない人しか集まっていないように思えます。

これで、まともな話になるのでしょうか?

2014年10月2日木曜日

大学への脅迫 暴力は、許さない 2014年10月2日

10月2日の社説です。朝日新聞のみなさまはずいぶんと知恵を絞っていらっしゃるようです。
謝罪そのものは福島第一原発の吉田証言や池上彰さんのコラムの件とセットにし、
朝日新聞への批判はヘイトスピーチや過去の赤報隊の件と一緒にしようとしています。

彼らの必死の防戦といいますか、、
そうまでして慰安婦の問題は意図的に流した捏造であることを隠したいのでしょう。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11380593.html

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(社説)大学への脅迫 暴力は、許さない
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自由にものを言う。

学びたいことを学ぶ。

それらを暴力によって押しつぶそうとする行為を、許すわけにはいかない。

 かつて慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者が教授を務める帝塚山学院大(大阪狭山市)に9月、別の元記者が 非常勤講師を務める北星学園大(札幌市)には5月と7月、それぞれの退職を要求し、応じなければ学生に危害を加えるという趣旨の脅迫文が届いた。警察が威力業務妨害の疑いで調べている。

 「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」

 「元記者を辞めさせなければ天誅(てんちゅう)として学生を痛めつける」

 北星学園大には、「爆弾を仕掛ける」という内容の電話もあったという。

 攻撃の対象は元記者本人にとどまらない。家族までもがネット上に顔写真や実名をさらされ、「自殺するまで追い込むしかない」「日本から出て行け」などと書き込まれた。

  朝日新聞は8月、過去の慰安婦報道について、女性を強制連行したと証言した吉田清治氏(故人)に関する記事を取り消した。間違った記事を掲載してしまったことに対して多くの批判が寄せられており、真摯(しんし)に受け止めている。
  しかし、だからといって学生を「人質」に、気に入らない相手や、自分と異なる考えを持つ者を力ずくで排除しようとする、そんな卑劣な行いを座視するわけにはいかない。このようなことを放任していては、民主主義社会の土台が掘り崩されてしまうだろう。

 「反日朝日は五十年前にかえれ」。1987年5月3日、朝日新聞阪神支局に男が押し入り散弾銃を発砲、記者1人が殺害された。犯行声明に使われた「反日」は、当時はあまり耳慣れない言葉だった。

 あれから27年。ネットや雑誌には「反日」「売国奴」「国賊」などの言葉が平然と躍っている。社会はますます寛容さを失い、異なる価値観に対して攻撃的になってはいないか。

 意見を述べ合い、批判し合う自由こそが社会を強く、豊かにする。戦後約70年をかけて日本が築きあげてきた、多様な言論や価値観が交錯する社会を守りたい、暴力に屈することのない社会をつくっていきたいと、改めて思う。

 朝日新聞への批判から逃げるつもりはない。しかし、暴力は許さないという思いは共にしてほしい。この社会の、ひとりひとりの自由を守るために。

2014年9月30日火曜日

ご愛読者のみなさまへ


朝日新聞と一緒に添えられていたという文章です。
これも書き起こしました。
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ご愛読者のみなさまへ

 謹啓

 厳しい暑さもようやく和らぎ、秋冷の心地よい季節となりました。いつも朝日新聞
をご愛読いただき、厚く御礼を申し上げます。

 さて、過日の記者会見と紙面でもご説明させていただいたところですが、このたびはみ
なさまの信頼を損ねる事態を招きましたこと、深くおわび申し上げます。申し訳ござい
ませんでした。新聞は正確な記事に対する信頼に支えられてこそ成り立つものです。そ
の信頼を大きく傷つけた責任を痛感しております。

 会見のあと、たくさんの方々から厳しいお叱りの声が寄せられました。貴重なご指摘
も数多くいただきました。再生に向けた課題として重く受け止め、参考にさせていただ
きます。

 福島第一原発事故に関する吉田調書の記事をめぐる取材・報道の問題点や、記
事の影響などについては、弊社の第三者機関である「報道と人権委員会」に審議を申
し入れました。また、慰安婦関連記事の取り消しが遅れたことの影響などについては、
新たに立ち上げる第三者委員会に検証していただくことにしております。いずれも朝
日新聞社外の目で厳しいご審議を仰ぎ、結果はすべて紙面でお伝えいたします。

 これとは別に、新しく就任した西村陽一・取締編集担当のもと、社内に「信頼
回復と再生のための委員会」を立ち上げました。朝日新聞の今回の報道が誤った最
大の原因はどこにあるのか、記者教育、研修のあり方を含めて曇りのない目で総点検
し、正確な記事を重んじる報道姿勢を再構築してまいります。

 信頼の回復を目標に、再生に向けて会社一丸となって精進してまいります。どうか、
引き続き厳しい目で朝日新聞を見守り、いま一度チャンスを与えていただけますよう、
お願い申し上げます。

 末筆ながら、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
                                                                            謹白

                                                        朝日新聞代表取締役社長
                                                                        木村 伊量

朝鮮の女性 私も連行 1982年9月2日(大阪版)

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朝鮮の女性 私も連行

元動員指揮者が証言

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 関東大震災の混乱の中で、多数の朝鮮人が虐殺されてから五十九年目の一日夜、大阪で催された「旧日本軍の侵略を考える市民集会」で、かつて朝鮮人の強制連行の指揮に当たった動員部長が、悲惨な「従軍慰安婦狩り」の実態を証言した。戦後もずっと語られることなく葬られてきた朝鮮人慰安婦の歴史、それをいま、「戦争で中国にいた日本軍兵士で朝鮮人慰安婦と接触しなかった人は一人もいなかったでしょう」と思い口を開く姿に、約五百人の参加者はしんとして聞き入った。

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暴行加え無理やり

37年ぶり 危機感で沈黙破る

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 この人は東京都文京区千石四丁目、吉田清治さん(六八)。昭和十七年秋、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長に就任した。以後三年間、十数回にわたり朝鮮半島に行った。直接指揮して日本に強制う連行した朝鮮人は約六千人、うち九百五十人が従軍慰安婦だったという。

 
 この日、大阪・浪速解放会館での集会で演壇にたった吉田さんは「体験したことだけお話します」といって切り出した。

 「朝鮮人慰安婦は従軍慰問女子挺(てい)身隊という名で戦場に送り出しました。当時、われわれは『徴用』といわず『狩り出し』という言葉を使っていました」。そして十八年の初夏の一週間に済州島で二百人の若い朝鮮人女性を「狩り出した」時の状況が再現された。

 朝鮮人男性の抵抗に備えるため完全武装の日本兵十人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する続いて吉田さんの部下九人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついてトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。ボタン工場で働いていた女子工員、海岸でアワビを採っていた若い海女・・・・・。連日、手当たり次第の「狩り出し」が続いた。

 「泣き叫ぶというような生やさしいものではない。船に積み込まれる時には、全員がうつろな目をして廃人のようになっていた」

 約一時間、淡々とときに苦悩の色をにじませながら話す吉田さんは「かわいそうだという感情はなかった。徹底した忠君愛国の教育を受けていたわれわれには、当時、朝鮮民族に対する罪の意識を持っていなかった」と声をふりしぼった。

 教科書問題にも吉田さんは触れた。「戦後の日本の歴史教科書はこういった事実がいっさい書かれてこなかった。というより、その教科書を改め、戦前の教育に逆行する動きさえあるじゃないですか」。低血圧で時々目まいがするという吉田さんに三十七年の沈黙を破らせたのは、こうした歴史の逆流傾向に対する危機感だという。



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この記事は大阪版で入手できなかったのですが、やはり今回の記事に当たり、書き起こすことにしました。
Webに画像はいくつも上がっているので、それからの書き起こしです。


ところで、気になるところがいくつかあります。

・冒頭の1行目
「関東大震災の混乱の中で、多数の朝鮮人が虐殺されてから五十九年目の一日夜、」
関東大震災時の朝鮮人大虐殺を事実としてさらっと書いています。

・「旧日本軍の侵略を考える市民集会」・・・この集会も何とも胡散臭さを感じます。


・「この人は東京都文京区千石四丁目、吉田清治さん(六八)。」この当時は住所を思いっきり書くんですね。そして、この住所ですが1986年には千葉県我孫子市に変わっています。引っ越したのでしょう。
参考:
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/198679.html
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/7719911125.html


・「大阪・浪速解放会館での集会」・・・・場所がここだとすると、この会の旗を振ったのは
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/198679.html
で出てきた上杉聡さん(当時三四)ではないでしょうか?

・「教科書問題にも吉田さんは触れた。」
金学順の公園でも気になったところです。金学順さんのときはこうです。
 「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣すると言ってるじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです」
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/blog-post_17.html

金学順のときはPKO、このときは教科書問題、どうも朝鮮人従軍慰安婦にもう一ネタ合わせるのが彼らの得意技のようです。



・朝日新聞のデータベースだと(清田治史記者)となっているようです。

2014年9月29日月曜日

「慰安婦特集記事の一部を訂正します」の解説 


http://www.asahi.com/articles/DA3S11375306.html

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慰安婦特集記事の一部を訂正します 
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 8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える(上)」で、朝日新聞社は、韓国・済州島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽だと判断し、吉田氏に関する記事を取り消しました。初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、「執筆した大阪社会部の記者(66)は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』と話す」と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました。おわびして訂正します。

 元記者は社内の取材班の調査に対し、当該記事を含めて吉田氏に関する記事を数本書いたと認めていました。しかし、元記者がその後、海外への渡航記録を調べたところ、大阪市内で講演のあった82年9月1日時点で国内にいなかったことが判明し、記憶違いであることが確認されました。その後の吉田氏に関する記事は実際に書いていました。

 特集記事の掲載後、当時の大阪社会部にいた別の元記者が「吉田氏の記事を書いたことが1度だけある。初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出ています。

 初報が掲載された経緯については近く設置する第三者委員会の調査結果を踏まえて紙面でご説明します。

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記事は記事でよいのですが、
3点、やはり気になる内容があります。
①「8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える(上)」」の度の記事のことなのか?
②「初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事」はどれなのか?
③「執筆した大阪社会部の記者(66)」は誰なのか?

です。

それでは、確認していきましょう。
①は
「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断 
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/201485_29.html
です。

②は(今回書き起こしました)
朝鮮の女性 私も連行
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/198292.html
になります。

そして③は
清田治史 ではないかと思われます。
ネット情報なのですが朝日新聞のデータベースではこの記事には((清田治史記者)の署名が
入っているそうです。

「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断 2014年8月5日

「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
http://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html


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「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
                       2014年8月5日
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 〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。




 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。

 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。

 97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

 しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。

 今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。

 干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

 93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

 吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。

 吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。

 戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

 吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。


■読者のみなさまへ
 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

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 注① 吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)

2014年9月26日金曜日

木剣をふるい無理やり動員 ― 加害者として 吉田清治(77歳) 1991年11月25日 発行女たちの太平洋戦争<2> 敵は日本人だった より


1991年11月25日 発行
女たちの太平洋戦争<2> 敵は日本人だった

130ページより

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木剣をふるい無理やり動員 ― 加害者として
            <千葉県我孫子市>吉田清治(77歳)
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 私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を九百五十人連行したことです。従軍慰安婦という制度は、日本がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。

 これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。この婦女子の韓国・朝鮮人の徴用のやり方は、私たち実行者が十人か十五人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官五十人か百人を動員します。そして警察官の護送トラックを五台から十台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣を持っていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは十人と連行していきます。そして直ちに主要都市の警察署の留置所に入れておいて、三日か五日の間に、予定の百人、あるいは二百人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡船で下関へ運んだのです。

 下関では七四部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を三年間やっておりました。

 十万とも二十万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に一人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちすべては郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。

 今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中ですごしていらっしゃる方、十万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の二つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。

 したがって私は戦犯の証人として、ここに立って皆さまにそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。

(以上は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)


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時系列の情報だけを書きます。
この本(朝日新聞社発行)が発行されたのが 1991年11月25日です。

この内容は
アジア戦争犠牲者を追悼 1986年7月9日
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/198679.html
ここでの大阪の集会で語った内容です。

このあと
【窓】従軍慰安婦 1992年1月23日(夕刊)
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/08/1992123.html

【窓】歴史のために 1992年3月3日(夕刊)
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/08/199233.html


こう続きます。






(作成中)植村隆(さん)の記事は誤報か?捏造か?問題ないのか?

(作成中)
さて、問題となる植村隆の記事、これの分析をおこないます。


元の記事はこちら
http://asahikiji.webcrow.jp/warehouse/1991081226.htm
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慰安婦の痛み、切々と韓国で聞き取り

【ソウル10日=植村隆】

 日中戦争や第二次大戦の際、戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内で生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に提供した。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、やっと開き始めた。

 尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。

 女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられ、毎日三、四人の相手をさせられた、という。

 「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思い続けた」という。数か月後に逃げることができ、戦後ソウルに落ち着いた。結婚したが夫も子供も亡くなり、現在は生活保護を受けて、暮らしている。
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これは東京版なので慰安婦と挺身隊の誤用はされていませんが、大阪版では
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日中戦争や第2次大戦の際、女子挺身隊 の名で戦場に連行され 、
日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、
 1人がソウル市内に生存していることがわかり、
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http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/1991812.html

と書かれています。

このことについて朝日新聞ではどう説明しているでしょうか?
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/201485.html
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/201485_25.html

(ここから先は作成中です)

2014年9月25日木曜日

「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない 2014年8月5日

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「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない

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http://www.asahi.com/articles/ASG7L6VT5G7LUTIL05M.html

 〈疑問〉元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し、元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り、都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。

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 問題とされる一つは、91年8月11日の朝日新聞大阪本社版の社会面トップに出た「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事だ。

 元慰安婦の一人が、初めて自身の体験を「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)に証言し、それを録音したテープを10日に聞いたとして報じた。植村氏は当時、大阪社会部記者で、韓国に出張。元慰安婦の証言を匿名を条件に取材し、韓国メディアよりも先んじて伝えた。

 批判する側の主な論点は、①元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった②元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いたという点だ。

 植村氏によると、8月の記事が掲載される約半年前、「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任(ヤンスニム)氏の娘と結婚した。元慰安婦を支援するために女性研究者らが中心となってつくったのが挺対協。一方、遺族会は戦時中に徴兵、徴用などをされた被害者や遺族らで作る団体で挺対協とは異なる別の組織だ。

 取材の経緯について、植村氏は「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話す。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。

 8月11日に記事が掲載された翌日、植村氏は帰国した。14日に北海道新聞のソウル特派員が元慰安婦の単独会見に成功し、金学順(キムハクスン)さんだと特報。韓国主要紙も15日の紙面で大きく報じた。

 植村氏は前年の夏、元慰安婦の証言を得るため韓国を取材したが、話を聞けずに帰国した経緯もあり、詳しい取材のいきさつは、朝鮮半島問題を扱う月刊誌「MILE(ミレ)」(91年11月号)に書いた。この時期、植村氏の記事への批判はまだ出ていなかった。

 また、8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したことをめぐり、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。

 慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。

 元慰安婦の金さんが「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設だ。韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。

 91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。その後の各紙の報道などで把握したという。

 金さんは同年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は、提訴後の91年12月25日朝刊5面(大阪本社版)の記事で、金さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えたが、「キーセン」のくだりには触れなかった。

 植村氏は「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明。「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」といい、8月の記事でもそのことを書いた。

 金さんらが日本政府を相手に提訴した91年12月6日、別の記者が書いた記事が夕刊1面に掲載されたが、キーセンについては書いていない。その後も植村氏以外の記者が金さんを取り上げたが、キーセンの記述は出てこない。

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■読者のみなさまへ

 植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。

「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視 2014年8月5日

なぜいまさら、この内容なのか、
ここに少し考えなければならないと思える内容があったからです。

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「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視

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http://www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html

 〈疑問〉朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、「女子挺身(ていしん)隊」の名で戦場に動員された、という表現がありました。今では慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らかですが、なぜ間違ったのですか。

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 「女子挺身隊」とは戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮・台湾で、女性を労働力として動員するために組織された「女子勤労挺身隊」を指す。44年8月の「女子挺身勤労令」で国家総動員法に基づく制度となったが、それまでも学校や地域で組織されていた。朝鮮では終戦までに、国民学校や高等女学校の生徒ら多くて約4千人が内地の軍需工場などに動員されたとされる=注①。目的は労働力の利用であり、将兵の性の相手をさせられた慰安婦とは別だ。

 だが、慰安婦問題がクローズアップされた91年当時、朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(91年12月10日朝刊)、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日朝刊)と書くなど両者を混同した。

 原因は研究の乏しさにあった。当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった。朝日新聞は、国内の工場で働いた日本人の元挺身隊員を記事で取り上げたことはあったが、朝鮮半島の挺身隊の研究は進んでいなかった。

 記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

 宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」と記述していた。

 朝鮮で「挺身隊」という語を「慰安婦」の意味で使う事例は、46年の新聞記事にもみられる。44年7月に閣議決定された朝鮮総督府官制改正の説明資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという「荒唐無稽なる流言」が拡散しているとの記述がある。

 挺身隊員が組織的に慰安婦とされた事例は確認されていないが、日本の統治権力への不信から両者を同一視し、恐れる風潮が戦時期から広がっていたとの見方がある=注②。元慰安婦の支援団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」を名乗っており、混同が残っているとの指摘もある。

 92年1月の宮沢首相の訪韓直前、韓国の通信社が国民学校に通う12歳の朝鮮人少女が挺身隊に動員されたことを示す学籍簿が見つかったとする記事を配信。「日本は小学生までを慰安婦にした」と誤解され、対日感情が悪化した。

 朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた。当時のソウル支局長(72)は「挺身隊として日本の軍需工場で働いた女性たちが『日本軍の性的慰みものになった』と誤解の目で見られて苦しんでいる実態が、市民団体の聞き取りで明らかになったという事情もあった」と話す。


■読者のみなさまへ

 女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。

     ◇

 注① 高崎宗司「『半島女子勤労挺身隊』について」デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」

 注② 藤永壮「戦時期朝鮮における『慰安婦』動員の『流言』『造言』をめぐって」松田利彦ほか編「地域社会から見る帝国日本と植民地 朝鮮・台湾・満洲」(思文閣出版、2013)

2014年9月24日水曜日

「恨」の半世紀 決意の訴え 1991年12月6日

慰安婦が日本政府を訴えた日の朝日新聞23面です。
今回、書き出した理由は、ここに金学順さんの生い立ちが書いてあったからです。

ほかの記述と比較してみましょう。

これは半年前の朝日新聞(の植村隆)の記事です。
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/1991812.html

これは1993年に発行された本からです。
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/blog-post_17.html

※ とりあえずひどいのは1993年(この記事の2年後)の本のほうがよっぽど脚色されていることです。

また、植村隆の記事では

「女子挺身隊 の名で戦場に連行され (大阪版)」

と書かれていた内容が、わずか4か月後の同じ朝日新聞で

「平壌で、地区の世話役に「金になる仕事がある」と誘われ」

といきなり変わっているのは注目です。これでも誤報ではないのでしょうか?



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1991年(平成3年)12月6日 (夕刊) 23面

「恨」の半世紀 決意の訴え

 「どれだけたくさんの慰安婦が犠牲になったか。私の十七歳の青春を返して欲しい」。従軍慰安婦だった金学順(キム・ハクスン)さん(六七)はハンカチで涙をぬぐった。六日、日本政府を相手に提訴した韓国の「太平洋戦争犠牲者遺族会」。忘れられた慰安婦、戦傷のいえぬ元軍属や何の補償もない元兵士。戦士通知さえこない太平洋戦争開戦から五十年、「セイセン(聖戦)」に巻き込まれ置き去りにされた原告たちの「恨」(ハン)はいまなお積み重なっている。

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元慰安婦提訴 

地裁入口で全員が黙とう

 原告団は午前十時、整然と並んで東京地裁へ。男性はほぼ全員が黒のネクタイ。女性は白いチマ・チョゴリ姿。地裁入口で黙とうした。涙を浮かべる原告もいる。
 提訴した後、地裁内で記者会見。原告の一人でもある「太平洋戦争犠牲者遺族会」の金鍾大(キム・チョンデ)会長は「自国民のみを手厚く援護してきた日本の身勝手さは、国際的見地から到底認められない」との声明文を示し、「われわれにとっては戦争は終わっていない」と声をはりあげた。

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「逃げたら死ぬぞ」そして、翌朝から

金学順さん「胸痛い、でも話す」

 金さんは六日朝、東京・西早稲田の宿舎で「畳を見てつらかった。植民地時代を思い出した」とやつれた表情で、ぽつりと語った。白いチマ・チョゴリ姿。「まだ韓国にはたくさんの慰安婦たちが黙ったままです。夫や子供がいる人はこんな体験を話せるわけはない」。「でも私は話します。胸が痛いけれど・・・・・・」と話を続けた。

 金さんは一九三九年春ごろ、平壌で、地区の世話役に「金になる仕事がある」と誘われ、平壌駅から日本の軍人たちと一緒に軍用列車に乗せられた。数えで十七歳だったという。着いたのは中国北部の集落で、「テッペキチン」という記憶がある。将校に「いうことを聞け、逃げたら死ぬぞ」と脅され、翌朝から軍人の相手をさせられた。

 金さんも含めて朝鮮人女性は五人。三百人ほどの部隊が近くにいたという。
 一ケ月半後、部隊と移動。金さんは胸を病み、監視が緩くなった。物売りの朝鮮人業者に「自分も朝鮮人だ。逃がしてほしい」と頼み、夜中に脱出した。

 二人は夫婦になり、戦後、上海からソウルへ戻った。しかし夫は酒を飲むと「お前は慰安所にいたじゃないか」と金さんを責めた。

 二人の子供は事故や病気で亡くなった。夫も朝鮮戦争に巻き込まれて死んだ。
 「子供が死んで、自分も死のうと思ったが死に切れなかった。だれにも過去を話せず、苦しんできた。私の不幸は慰安所から始まっている」と金さん。今は生活保護を受けながらソウルの貸間に住んでいる。

 昨年、日本政府が国会で「従軍慰安婦は民間業者がやったこと」と答弁したと聞いて、怒りがこみあげた。「なぜ、日本政府は責任を認めないのか」。今年夏、キリスト教の女性団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」を訪れ、体験を語った。

 金さんは「身も心もボロボロになった。お金をいくらもらっても仕方がない。日本人のために、数多くの朝鮮人女性が犠牲になったことを若い人たちに伝えたい」という。

 金さんは「身寄りもいないので、名前が出ても構わない」と本名を名乗った。残りの二人は、名前を公表していない。家族に話すことができないからだ。

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来日した原告12人の訴え
(金学順さんを除く、敬称略)
趙鍾萬(69) 軍属としてトラック島で建設作業。船が沈没して負傷
鄭琪永(71) 強制的に学徒入隊。内務班で、ほぼ毎日暴行をうけた
朴炳贊(68) 捕虜監視員。日本軍戦犯として5年服役。片目を失明
徐正福(71) 沖縄軍夫。班長から毎日殴られた。未払い給与1650円
李永桓(79) 軍属。船が爆撃を受け片腕を切断、衝撃で声にも障害
申成雨(71) 同上。佐世保などで土工労務。給料の大半は強制貯金
金鍾大(54) 父がパラオで戦死したが知らされず。母が行商で苦労
李種鎮(47) 父がマニラで戦死。貧しさの余り17歳の時に自殺未遂
韓文洙(49) 父のブラウン島玉砕が今夏判明した。遺骨捜索もない
金容琪(60) 兄はブラウン島で殴殺された情報も。今年死亡を確認
韓永龍(48) 父は終戦直後、浮島丸沈没で死亡。今年、証言で確認
呉壬順(69) 日本の花形ボクサーだった兄がビスマルク諸島で戦死

(作成中)声 を分析する。

朝日新聞が(読者の)声でこの問題を取り上げだしたのは、8月30日からです。
慰安婦特集を行ったのが8月5、6日ですが、
その後、他新聞社(毎日新聞だったと記憶しています)から紙面で指摘されるまで、
実に半月の間、掲載しませんでした。
(9月18日の朝刊で投書が実は千通を超えていたことが明らかになりました。)
ここでは、9月20日間での間に掲載された投書(全28通)を分析します。

投書は
8月30日 3通
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/2014830.html
9月 6日 3通
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/201496.html
9月13日 5通
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/2014913_21.html
9月14日 5通
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/2014914_23.html
9月15日 1通
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/2014915.html
9月18日 8通
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/voice-2014918.html
9月20日 3通 
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/2014920.html
でした。

まずは、今回の捏造がどう表現されているか確認します
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8月30日 誤り・誤報 誤った 混同・誤り 混同
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9月 6日 問題・このような事態 問題 訂正問題・大変なこと 公明正大でなかった
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9月13日 虚偽 失態・過ち・誤り・虚偽・誤報 誤り
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9月14日 (作成中)
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9月15日   誤報
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9月18日 誤報 不祥事・誤報・誤報・-・大失敗・不祥事 偽装・誤報・誤報
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9月20日 不祥事 構造的な問題・誤報 対応が後手に回った・
      誤った報道 思い込みや記事のチェック不足などが重なった

「ねつ造」表現は9月13日のしかもサンゴ事件の引用で1回しか用いられていません。

   「落書き、ねつ造でした 深くおわびします」。1989年の朝日新聞1面の見出しだ。朝日新聞の記者が自らサ ンゴを傷つけ、捏造(ねつぞう)報道した。四半世紀前のこの一件を私は授業で知ったが、特ダネ欲しさという背景、チェックが不十分であったという点、社の方針が定まらず謝罪が遅きに失した点など、今回の吉田調書の記事撤回との共通点が多い。

ここだけです



また、9月以降は慰安婦だけではなく、
吉田調書、
池上彰さんコラム掲載拒否が混じっていますので、

慰安婦関連の内容は最初は「慰安婦問題」と問題点が明確だったのですが、
やがて3つの問題が混在し、
最終的に『一連の不祥事』や、『誤報』、『問題』など

抽象的な表現になってしまっていることがよくわかります。



ホームページでは、実際の文章を元に掲載しています。
http://asahikiji.webcrow.jp/letter/index.html

2014年9月23日火曜日

声 2014年9月14日

2014年(平成26年)9月14日 朝刊8面



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報道機関の在り方を問い直して 高校生 ●● ●(滋賀県 17)

 朝日新聞の木村伊量(ただひさ)社長が謝罪会見を開いた。慰安婦問題については、32年前からの自らの誤りを認めたという点で一定の評価ができる。だが、東京電力福島第一原発事故で作成された「吉田調書」についての誤報は訳が違う。

 あの記事は最初から「相手を批判し、揚げ足を取ってやろう」という目的ありきで書いたのではないかと疑わざるを得ない。そうであるとしたら、なぜそのようなことをしたのか、その目的も意図も私にはさっぱり理解できない。

 事実を歪曲(わいきょく)してまで記事を書くのは報道機関としてあるまじき行為だ。名誉棄損(きそん)にもなりかねない。そもそも、こうして吉田調書が公表されれば、誤報であることが明るみにでる。そのことに、なぜ頭が回らなかったのだろうか。

 池上彰さんのコラム「新聞ななめ読み」の掲載見合わせも含めて、都合の悪い批判を封殺し、隠蔽しようとする報道機関の記事を、果たして誰が信用するのだろうか。今回の二つの誤報問題と掲載見合わせ問題を通じて、朝日新聞という報道機関の在り方を、いま一度、問い直してほしい。

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誤報の背景に大新聞のおごり 無職 ●● ●●(長崎県 69)

 このたびの朝日新聞の大失態については、多くの批判の声が届いていることでしょう。

 慰安婦問題や東京電力福島第一原発事故に関する「吉田調書」の報道をめぐっては、多くのメディアから批判にさらされてきており、これからも更に激しくなることを覚悟しなければならないでしょう。

 それだけ今回の問題は大きいのです。長年、自浄作用を失っていたことは、失望の域を超えています。大新聞の名の下でのおごりからくる傲慢(ごうまん)さがあったのではないですか?深く反省されることを望みます。

 半世紀近く信頼してきた愛読者の気持ちが分かりますか?「記事取り消し謝罪」が掲載された12日の紙面は、字面を追っている内容が頭に入りませんでした。本当にこの記事を信じていいのだろうかとさえ感じ、もう先に読み進むことができません。このようなつらい気持ちを斟酌(しんしゃく)してもらいたいと思います。

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特ダネより正確さの優先を 養護教員 ●● ●●(広島県 55)

13日の声欄を拝見しました。投稿の中に「サンゴ事件」に触れたものもありました。この事件は、私が朝日新聞に持ち続けている不信感の一つです。それでも愛読してきたのは、27年前の阪神支局襲撃事件で暴力に屈しない姿勢に感銘を受けたからです。

 慰安婦問題で記事を取り消さなくてはならない事態を知り、一体どんな取材をしたのかと疑問に思っていました。そして、この度の「吉田調書」の記事の取り消しです。

 「吉田調書」を最初に読んだとき、東京電力の社員はひどい人たちだと思いました。印刷された記事は、ほぼ事実として受け止めているからです。しかし記事が間違っているとなると認識を改めなければならず、私としてはつらい作業を強いられます。

 このように記事の取り消しが度重なると、頭の中が混乱します。購読をやめようと一度は販売所に電話をかけました。でも、日本のためにも、暴力や権力にくみせず言論を貫く朝日新聞を応援しなくてはと思い直しました。特ダネよりも正確な報道を優先してください。

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編集姿勢を正せるかに注目 無職 ●● ●●(茨城県 67)

 就職したとき朝日新聞を自費で購入し始めてから50年になります。他紙に代えなかったのは、朝日新聞の批判精神を支持したからです。「権力は腐敗する」との格言を思うとき、政治を厳しくチェックし、批判することは必要です。慰安婦問題は、訂正と謝罪が遅かったのは残念でしたが、太平洋戦争の反省と総括をきちんとしていない政府に、問題を提起し続ける意味はあったと思っています。

 しかし、「吉田調書」についての間違った記事は、あまりにもお粗末の一言です。記事をセンセーショナルにするためか、自分たちに都合の良い解釈をして、あたかもそれが事実であったかのような書き方は、ジャーナリズムとは言えません。取り消しは当然だと思います。

 新聞を作るのが人間である以上、ミスはありうることで、その後の対応で一定の信頼回復は可能かもしれません。しかし、今回の一連の問題は、単に誤解、誤認、判断ミスという以上に報道姿勢を巡る深刻な問題を含んでいると思います。朝日新聞が一連の問題を真剣に反省して、どこまで取材・編集姿勢を正せるのか。それをしっかりと見て、考えて、購読を続けるのかやめるのかの判断をしたいと思っています。

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時の権力はの批判を緩めるな 大学名誉教授 山田 明(愛知県 65)

 やはき遅きに失した「記事取り消し謝罪」である。長年にわたる読者として残念でならないが、朝日新聞の「9・11」として、徹底した問題点の点検と検証を求めたい。とりわけ幹部社員がもっと危機意識をもつことだ。新聞社としての「リスク管理」「人事政策」の見直しが求められる。
 今いちばん心配なのは、現場の記者をはじめとして、朝日新聞が萎縮してしまうことだ。多方面から「朝日バッシング」が激しさを増す中で、事実を正確に伝え、権力を監視する新聞の原点を忘れないでもらいたい。「吉田調書」にみられる制御できない原発の恐ろしさを、「慰安婦問題」で女性の人権を踏みにじった歴史的事実を、今後もきちんと報道してほしい。朝日ならではの、鋭い記事を読者として期待する。

 わが国は「戦争する国」に向けた危険な動きが加速している。だからこそ、朝日新聞への期待も大きいものがある。「時の権力」への批判を緩めないでもらいたい。
 もう一度だけ。「朝日新聞、しっかりしろ」と言いたい。

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朝日新聞社は、慰安婦を強制連行したとする吉田清治(故人)に証言に基づく関連記事と、5月20日付朝刊で報じた東京電力福島第一原発事故の「聴取結果書」(吉田調書)についての記事を取り消しました。これらの記事に関連する投稿を寄せてくださった方をはじめ、すべてのみなさまにおわびします。 (「声」編集長 小森保良)

2014年9月21日日曜日

声 2014年9月20日

8月5日以降の朝日新聞の声欄を見直しました。

8月30日から 声欄に慰安婦問題を掲載するようになり、
9月20日まで確認したのですが、やはり、あまり取り上げてはいません。


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声 2014年(平成26年)9月20日

原点に返って新聞の使命果たせ 無職 ●● ●(神奈川県 82)

 朝日新聞の購読をしばらくやめようと思う。60余年にわたって朝日に啓蒙(けいもう)され、ジャーナリズムの姿勢を支持してきたのにである。

 今回の一連の不祥事の最大の問題は、対応ガあまりにも遅すぎたことである。しかし、それをうやむやにしたり、ごまかそうとしたりしなかったか。池上彰さんのコラムの掲載見合わせ、広告掲載の拒否などお粗末すぎる。単なるミスではない。朝日社内に蔓延(まんえん)した構造的な問題だと認識する。だからこそ深刻な事態なのだ。

 私は、朝日新聞で世の中を学んできた。1カ月分ためて読み直し、自分なりに経過を検証し、スクラップもしてきた。だが、最近は読みたい記事が減っている。特に8月は切り抜いた記事が少なく、自分でも驚いた。

 新聞の危機は、朝日のみの問題ではないと思う。だからこそ改めて、新聞の使命を突き詰めて追及するべきである。私は、調査報道と論評に尽きると考える。

 当面、ほかの新聞を購読するつもりだ。でも、いじけてもらっては困る。もう一度、原点に返って「やっぱり朝日」と言われる記事を書いてほしい。

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確認重ねた深い記事を求める 会社員 ●● ●●(静岡県 42)

 朝日新聞は、様々な企業や政治家の不祥事を取材・報道してきました。見えを張らず、正直に全てをさらけ出して、素直に非を認めて誤ることが解決の近道であり、言い訳やうそ、ごまかしは事態を悪化させ、問題を長期化させることは分かっているはずです。

 その意味で今回、誤報に加えて対応が後手に回ったことは残念です。読者が求めているのは、いわゆる「特ダネ」ではなく、確認に確認を重ねた深い記事なのです。

 さらにいえば、ニュースで政治家らの記者会見を見ていると、ふざけているとしか思えない言い訳や、どうとでも取れるあいまいな言い回しでごまかそうとする相手に、記者が何も反論できず、いらだちを覚えることがあります。特ダネに固執した紙面よりも、権力者の前で「それでは分かりません」「そんな言い訳、通用しません」と声をあげて食い下がってくれる、反骨精神と度胸のある記者の姿とその原稿が見たいのです。

 「朝日新聞は、もう間違いが許されません。分かりやすく正直に答えてください」取材現場で、そのくらいの開き直りがあってもよいのです。どうか、ピンチをチャンスに変えてください。


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新聞人として身が引き締まる 会社員 ●● ●(神奈川県 52)

 朝日新聞の誤った報道について。遅くはなったが謝罪し、真摯(しんし)に反省する。これを機に新聞人としての誇りを胸に正確な記事を読者にお届けすると再出発を誓う。その心意気に拍手を送ります。

 ぼくは同業他社に勤めています。校閲という職場で、記事の内容に誤りがないか、おかしな表現はないかを点検しています。「思い込みや記事のチェック不足などが重なったことが原因」という反省に、これはひとごとではないぞと身が引き締まる思いでした。ぼくは朝日新聞を批判する立場にはありません。ライバル社が我が身を削って公正な報道をする心がけを教えてくれたと感謝しています。

 言葉は怖い。受け止め方は人それぞれだからこそ簡潔明瞭でわかりやすい記事を読者に届けられるように努めます。とはいうものの仕事では冷や汗をかく毎日です。ぼくにできるせめてものたしなみは、背筋をしゃんとのばして美しい姿勢でいることです。

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なお、この内容はホームページに載せてあります。
http://asahikiji.webcrow.jp/warehouse/20140920-14.htm

声 2014年9月15日

2014年(平成26年)9月15日



謝罪の言葉が心に響かない 主夫 ●● ●(千葉県 57)

 私は30年以上、朝日新聞を購読しています。このところの迷走ぶりには「朝日は何をやっているのだろう」と思わずにいられません。誤報の取り消しが遅すぎるうえ、紙面でも社長会見でも謝罪の言葉はあっても、言い訳ばかりで、心から謝っているように思えないのです。
 「慰安婦問題を考える」の特集記事(8月5、6日朝刊)には違和感を覚えました。謝っているようで謝っておらず正当化ともとれる言い訳が多かったからです。ですから、この問題を批判した池上彰氏のコラムには同感でした。どうして掲載を見合わせたのでしょうか。冷静で筋道の通った批判を受け止めることはメディアにとって重要で必要なことなのに。極めて残念でなりません。
 「吉田調書」の報道では、「独自に入手」と書かれれば、あの時点では調書の内容を知るすべがない読者は、記事を信じ、東京電力の社員らは命令に反して撤退したのかと思ってしまいます。実際との違いに、報道の怖さを痛感しました。
 報道する側には、影響力の大きさに伴う自覚と責任感が必要です。間違えないことが一番ですが、間違えたのならば速やかに訂正せねばなりません。

 取り消したいずれの報道にも、反省するべき点が多々あることを少なくとも一線の記者の方々は十分に分かっているだろうと信じたいです。今後、朝日新聞の報道姿勢がどう変わるのか、それとも変わらないのか。厳しい目で見守っていきたいと思っています。

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なお、この内容はホームページに載せてあります。
http://asahikiji.webcrow.jp/warehouse/20140915-8.htm

声 2014年9月6日

池上彰さんコラム掲載拒否(見合わせと表現しているようですが)の後の
朝日新聞の読者からの「声」です。
まだ、社長の謝罪(吉田調書(福島第一原発))問題が記事にされていない時期なので、
内容は慰安婦問題とコラム掲載拒否の2点のみです。

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2014年(平成26年)9月6日 朝刊12面

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信頼は絶えざる自己検証から 無職 ○○ ○○(大阪府 61)

 新聞は「朝日新聞」と決めて40年以上。他の全国紙と丁寧に読み比べて朝日新聞を選んでいたわけではないが、その論調には共感できることが多かった。

 その一つが「批判的精神」。批判精神は、反民主的なもの、国家主義的なものへの批判と、絶えざる自己検証を、両輪として成り立つものだと考える。自己検証が弱くなれば独善となる。
 そこで今回の慰安婦問題の検証と、その最中に起きた「池上彰の新聞ななめ読み」の掲載見合わせ問題である。「池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします」とある(4日)。その言葉は平板であり気持ちが入っていない。これは単なる「おわび」である。問題の本質が「迷惑」ではなく、朝日新聞への「信頼」であることを理解していないのだろうか。
 池上氏が「新聞ななめ読み」で(4日)で指摘したことは、朝日新聞の読者なら誰でも感じるごく普通の疑問だ。それをなぜ、「掲載見合わせ」という判断をしたのか。信じがたいことである。今回の掲載見合わせの経緯について、朝日新聞の良心が発揮される自己検証をぜひ、していただきたい。


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掲載見合わせは重大な問題だ 無職 ○○ ○○(埼玉県 61)

 朝日新聞の「慰安婦問題を考える」(8月5、6日)を読んで何かしっくりこないものを感じていました。他のメディアからの指摘を知るにつけ、池上彰さんならどう考えるのかと「新聞ななめ読み」を楽しみにしていました。ところが掲載見合わせのニュースが流れ、朝日新聞はどうなってしまったのかと心配したものでした。幸い朝日記者のツイッターなどで自社批判の記事が出たことや、今回記事が掲載されたことで少し安心しました。

 しかし、掲載見合わせについての謝罪はありましたが、なぜこのような事態を招いたのか、そして再発防止についての説明がありませんでした。これでは問題が報道されたので不本意ながら掲載し、批判が冷めるのを待っている、と捉えられても仕方ありません。
 自社に都合の悪い記事を排除しようとした今回の問題は、記事の訂正問題に匹敵する重大な問題ではないでしょうか。「新聞ななめ読み」は朝日新聞だからこそ掲載できたと考えていたのに本当に残念です。池上さんの主張に対して、朝日新聞がどう対応するのか注目しています。
 

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池上さん、連載を続けて下さい 主婦 ○○ ○○○(埼玉県 71)

 4日の「池上彰の新聞ななめ読み」を、いつものように楽しみにして読み始めました。池上さんの文章は、とても大事なことを素直にわかりやすく書いてあるので、私にはとてもありがたいのです。読んでいくうちに朝日新聞と池上さんとの間で大変なことが持ち上がっていたことを知り、驚くとともに考え込んでしまいました。

 慰安婦問題で、朝日側が自社の過去の報道を検証したことについて「遅きに失したのではないか」とする池上さんの見解は私もその通りだと思います。朝日側が、当初、掲載を見合わせたことは、池上さんに対して公明正大でなかったと私は思います。
 でも池上さん、お願いがあります。どうかこれからも朝日の連載は続けて下さい。もし、今回の件で連載が中止になれば、慰安婦問題さえなかったことにしようとする人たちに利用されるのではないかと懸念するからです。池上さんも書かれているように「『慰安婦』と呼ばれた女性たちがいたことは事実」です。しかし、その事実さえも、確かな資料も残っていないことから、うやむやのまま、闇に葬られてしまうのではないかと、強い懸念を覚えます。

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なお、この内容はホームページに載せてあります。
http://asahikiji.webcrow.jp/warehouse/20140906-12.htm

声 2014年9月13日

2014年(平成26年)9月13日



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報道の検証と再発防止で再生を
無職 ● ●●(栃木県 63)

 朝日新聞社は11日、東京電力福島第一原発事故の吉田調書に基づいて「命令違反し撤退」と断じた5月20日朝刊の記事を取り消した。8月5日の朝刊で、過去の慰安婦問題を巡る吉田清治(故人)の証言に基づく記事16本を虚偽と判断して取り消したのに続いてのことだ。1カ月ほどの間に起きた、個々の記事と新聞そのものへの信頼を根底から覆す相次ぐ失態は前代未聞だ。社長が自ら記者会見して謝罪したが、遅きに失した。社会的批判は高まるばかりだ。

 そもそも、原発事故の吉田調書報道にしても慰安婦問題の吉田証言報道にしても、外部からの疑問の声が早くからあがっていた。それなのに吉田調書については、政府による公開という、間違いを正さざるを得ない決定的証拠を突きつけられるまで、朝日新聞は非を認めようとしなかった。経営陣にはすべての責任を負う覚悟がなかったと言わざるを得ない。

 朝日新聞は生まれた時から家にあった。亡き父は最も信頼のおける新聞だと、生涯、他の新聞には変えなかった。愛読者には痛恨の事態だ。怒りは禁じ得ないが、しっかり証し、再発防止を講じ、一刻も早く再生してほしい。

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サンゴ事件の反省を忘れたのか
大学生 ●●● ●●(神奈川県 21)

 「落書き、ねつ造でした 深くおわびします」。1989年の朝日新聞1面の見出しだ。朝日新聞の記者が自らサンゴを傷つけ、捏造(ねつぞう)報道した。四半世紀前のこの一件を私は授業で知ったが、特ダネ欲しさという背景、チェックが不十分であったという点、社の方針が定まらず謝罪が遅きに失した点など、今回の吉田調書の記事撤回との共通点が多い。

 当時の社説は「信頼を回復する道は平たんではないが、私たちは一歩一歩、進んで行きたい」と誓った。あの反省は忘れたのか。報道人として、感覚麻痺(まひ)がなかったか。傲慢(ごうまん)さはなかったか。

 権力監視という点から朝日新聞の姿勢は評価できるし、その必要性は最近ますます高まっているように思う。だからこそ、朝日新聞には最後のチャンスを与えたい。吉田調書の記事も、慰安婦問題についても、すべての要素を丁寧に検証するべきだ。その上で過ちを顧みて自省してほしい。

 
 次はない。この認識を肝に銘じ、実直な姿勢で、権力を監視する報道機関としての使命を果たしていくことを期待する。

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メディア全体の萎縮を心配する
無職 ●● ●●(岐阜県 63)

 朝日新聞の社長が謝罪会見を開き、記事の誤りを認めた。自己の進退と社内改革にも言及した。社長が話したように、対応の不適切さに弁解の余地はない。「攻めには強く、守りに弱い」朝日の体質を露呈した形でもある。

 だが、このときとばかりに朝日バッシングを繰り返した政治家、評論家、メディアはあまりに情緒的だった。恣意(しい)的な報道も多く、客観性や冷静な視点に欠けている。

 保守系メディアは、慰安婦だけでなく南京事件、東京裁判までも否定しようとする論調に拍車をかけた。そうした報道からは、朝日新聞の戦後の歴史認識は自虐史観でしかないとの主張を、強引に正当化させようとする思惑も透けて見えた。

 今後、朝日新聞を含めた報道全般が萎縮して、報道や言論の自由、国民の知る権利が損なわれないかを危惧している。メディアが権力の監視を怠り、権力側の単なるスポークスマンになってしまうことが、何より怖い。

 メディアは、このようなことは朝日だけの問題ではないという認識を持ってほしい。国民は、権力側が今回の問題を巧妙に利用しないか監視する必要があると思う。

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言葉の重み かみしめてほしい
主婦 ●● ●●(埼玉県 62)

 「本社、記事取り消し謝罪」(12日朝刊)を読んだ。活字の重みを改めて痛感する出来事だった。
 慰安婦問題を巡る記事や福島第一原発事故の吉田調書を巡る記事など、いずれにも共通しているのは、初めに結論ありきの裏付けのない報道だったと思われることだ。これは氷山の一角にすぎないのではないかという疑いさえ持たざるをえない。

 事実をありのままに掲載し、国民に真実を伝えるのが新聞の本来の役割のはずだ。事実関係を十分に確認せず、記者の思い込みで書いたと見られる虚偽の記事を流した朝日新聞の責任は、あまりにも重い。

 人間は、言葉とともに生きている。新聞社なら言葉の、活字のもつ重みを改めてかみしめてほしい。一度失った信頼を回復するのは至難のわざだ。社内のチェック体制を強化・拡充させて、全身全霊をかけて、信頼回復に努めてほしい。

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読者が誤解しないような工夫を
無職 ●● ●●(大阪府 57)

 メディアが報じる内容が、そのメディア自身の手でどれだけ検証されているのか気になる。誤報が世間から事実と思われ、世の中を間違った方向へ導きかねないからだ。

 代表例がイラク戦争の「大量破壊兵器」。証拠として衛星写真が示されたが、それは大量破壊兵器ではなかった。

 悩ましいのは、十分に検証したものしか報道しなくなれば情報の遮断につながることだ。だから、検証が不完全なら、どこまでが確認できた事実かを明確に示し、受け手が誤解しないようにするべきだ。疑念や反論も見合う大きさで伝えてほしい。

 朝日新聞が、慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)を取材したこと自体は誤りではない。記事への疑念や反論を受け止め、誤報だったことを速やかに大きく報じなかったことが致命的な誤りだったのだ。問題点を発掘し、積極的に報道する姿勢が揺らいでは本末転倒ということは言っておきたい。

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声 2014年8月30日

投稿した人の名前は伏せましたが、
まずはもともとの投稿をそのままUpしました。



2014年(平成26年)8月30日 朝刊14面

Voice 声

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慰安婦問題、歴史直視しよう

行政書士 ●● ●● (福岡県 50)

 朝日新聞が慰安婦問題の報道について検証を行い、一部誤りを認め、反省の弁を述べた。報道
機関が自身の記事について検証し、公にすることには意義がある。報道は常に正確性を期待され
、読者にも信頼されなければならない。報道に誤りがあったことは、極めて残念だ。

 ただ、わが国の軍国主義政策や先の大戦で行った侵略について反省する報道や主張に対し、自
虐的で日本人の誇りを傷つけるので、子どもたちの教育にも好ましくない、とする主張も根強い。安倍晋三首相をはじめとする保守派の主張もその系譜にある。

 犯した罪の反省を自虐だと批判するのは、一側面しか眺めていないのだと思う。「反省」とは
新たに心を入れ替えて前進することだろう。「自虐」にはそれはない。

 必要以上に卑屈になることは好ましくないと思うが、反省して謙虚にふるまう国は、他国から
も尊敬されるはずだ。プライドばかり高くて自らを客観視できないのは滑稽にすら思える。

 歴史を直視し、自らを省みて謙虚に行動する姿を示せば、子どもたちにはおのずと誇り高き健
全な心が宿るに違いない。

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なお残る疑問 真摯に検証して

無職 ●● ● (神奈川県 67)

 慰安婦問題の報道で、朝日新聞を廃刊せよといった意見があるが、多様性ある言論を除こうと
いうような主張には賛成できない。しかし、この問題は終わったわけではない。

 なぜ、長い間誤報が放置されたのか。組織的欠陥があるのではないか。誤った引用記事を何度
も使ったことで、韓国メディアに恣意(しい)的に使われたことはなかったのか。

 1993年河野洋平官房長官が慰安婦問題で強制性を認め、「お詫(わ)びと反省」を表明した河
野談話に影響を与えたことは本当になかったのか。元慰安婦への謝罪や賠償を日本政府に求めた国連規約人権委員会の報告に影響を与えなかったのか。河野氏や国連を再取材し、さらに検証する必要があろう。

 また女子挺身(ていしん)隊と慰安婦を混同し女子挺身隊だった人たちの名誉を傷つけたのだ
から、苦痛や被害がなかったのか取材し記事にして欲しい。元慰安婦の証言を報じた元朝日新聞
記者の「事実のねじ曲げはない」とする見解も疑問が残る。

 真摯(しんし)な取材による検証と報道によって読者の尽きぬ疑問に答えて欲しい。

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誠意は正確な報道を通じ示せ

会社役員 ●● ●● (大阪府 70)

 朝日新聞がこれまでの「慰安婦問題」の報道に誤りがあったとして、慰安婦を強制連行したと
する証言の記事を取り消した。「証言者の発言が虚偽であった」というのがその理由だという。
慰安婦を女子挺身(ていしん)隊と混同していたことについては「当時研究が進んでいなかった
」と釈明した。戦後69年も経ち、今さら何を言うのかと怒りを覚えるがまだ誠意を感じる。

 しかし、その誤った記事をきっかけに、我々国民が海外で失った信用は計り知れない。実際、
私は韓国にビジネスで出張した際に、非難されたこともある。言うまでもないことだが、中国、
特に韓国と、この問題で外交上どれほどこじれてしまったかは、朝日新聞はよく承知しているは
ずだ。

 朝日新聞はこの問題の特集記事を英文にし、ネットに掲載したという。しかし、朝日新聞が、
報道に誤りがあったと認め、本当に誠意があるなら、この際、日本のおもな新聞はもちろんのこ
と、特に韓国の新聞、米国、ヨーロッパの主要新聞に慰安婦問題について正確に報道してもらう
ように働きかけてほしい。そうすることこそ、朝日新聞の責任ではないのか。

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3つの投書が3つとも作文にも見えなくもないし、
都合よく編集されたと思えなくもないです。

また、この3つの意見の中に書かれていない第4、第5の意見はあり、
朝日新聞はその意見には触れられたくないため、あえてこの内容に絞った感じがします。

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http://asahikiji.webcrow.jp/warehouse/20140830-14.htm

2014年9月20日土曜日

朝日新聞に読者のみなさまから 声 特集版 2014年9月18日

2014年(平成26年)9月18日 3面
朝日新聞に読者のみなさまから Voice 特集版 声

信頼回復へ 血のにじむ努力を
国家公務員 ●●● ●●(埼玉県 50)

 2年以上前の任天堂社長の記事は、実際にインタビューをせず、同社ホームページの動画の発言内容をまとめたものだったという「おわび」を読んだ。慰安婦問題や東京電力福島第一原発事故をめぐる誤報、池上彰氏のコラム掲載見合わせと続いた不祥事に、追い打ちをかける「おわび」。あまりの情けなさに購読中止を決意し、販売店に電話した。

 販売所にも相当数の苦情が寄せられているそうだ。本社、記者、労働組合などが本気で改革に進む姿勢だという説明を受けた。独立経営の販売所にとって、購読中止は相当な打撃になるそうだ。とりあえず、購読を継続することにした。

 嵐の日も雪の日も毎朝毎夕、新聞を配達する人たちが新聞を支えている。朝日新聞は私たち読者だけでなく、その人たちも裏切り、大打撃を与えてしまったことを肝に銘じてほしい。

 読者は一連の不祥事で全くすっきりせず、安心できない。信頼を取り戻すには血のにじむような努力が必要だということを、数々の企業不祥事を報道し、追及してきた朝日新聞ならよく分かっているはずだ。読者は全く納得していない。

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読者の気持ちを読めていない
英語塾経営 ●● ●●(京都府 77)

 40年ほど前、職場の人たちの朝日新聞の購読を始めましたが、今回、やめることにしました。
 友人に朝日新聞をひどく批判し、中国や韓国、北朝鮮のことをよく言わない者がいます。私はいつも辟易(へきえき)していましたが、真実を守ってくれている新聞だと思っていました。

 しかし、今回の誤報が各方面から指摘され、謝罪記事を出さざるを得なくなった経緯を知り、友人の方が正しかったのではないかと思うようになりました。特に謝罪記事は読むにつれ、嫌悪感が増すばかりです。ちらちら言い訳が入っていると感じられるからです。

 結局、読者のささやかな気持ちが読み取れない新聞社だと感じ、断腸の思いで長年の購読を断ることにしました。どうして断腸の思いかというと、これまで楽しい記事がたくさんあり、私をそれなりに成長させてくれたからです。いったん離れた読者を元に戻すのは大変なことですよ。


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「スクープありき」ではなかったか
会社員 ●● ●●●(東京都 44)

 いわゆる「吉田調書」をめぐる誤報の謝罪記事に関して私の思いを述べたい。

 一つ目は、朝日新聞の「スクープありき」の姿勢だ。スクープは結果であり、意識が逆転していたのだと思う。これは朝日が嫌う「戦争」が起きた構造と同じではないか。軍部の暴走が戦争を招いたとされるが、同じ過ちが朝日にも起きてはいないだろうか。

 二つ目は、謝罪が遅きに失したことだ。批判の高まりで避けられなかったのだろう。ただ「罪を憎んで人を憎まず」というには影響が大きすぎる問題だが、潔く謝罪したことは評価したい。かつての「大本営発表」の時代とは違う。報道を受ける側も自分で情報を判断できる。その意味では、送り手のメディアにとっても受け手にとっても、ジャーナリズムの健全な発展に向けて考えるいい機会になったのではないか。

 三つ目は、今回の件を報じた他社や政治家の姿勢だ。ここぞとばかりの感情的な批判もあったが、批判する側にも自己責任がある。その姿勢や内容も、読者に信頼されるものであってほしい。


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活字への信頼を裏切られた
写真家 ● ●●(石川県 65)

 「朝日よ、お前もか」。社長の謝罪会見を報じた12日の朝刊を見て、衝撃を受けた。「活字が信頼を失った日」を目の当たりにしたのだ。慰安婦報道に始まり、その批判コラムの掲載見合わせ、「吉田調書」記事の取り消し。学生時代から四十数年間も読み続け、信頼してきただけに、実にショックな朝だった。

 インターネットは便利な道具である。始めて十数年になる。何でも知り得る時代になった気がするが、一方で「うそ」の多さに辟易(へきえき)してきた。それに比べて新聞の活字は、それなりの学識のある人々が検証し、信頼性があるものだと信じてきた。それが裏切られたのだ。

 一体、何を信じたらよいのだろう。時代は進歩しているのではなく、限りなく後退しているのではないか。そんな空しさを感じる。

 活字の信頼を再び取り戻せる日はくるのだろうか。100年後、この日が歴史に記されることのないよう、切に願う。


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市民の声もっと謙虚に聴いて
主婦 ●● ●●(愛知県 63)

 高校時代、新聞部だった。「高校生が知りたいことや学校生活の問題点を書きたい」と張り切っていた。高校生でもそうだったのだ。朝日新聞の大失敗を見るにつけ、現場の記者たちの悔しい気持ちは想像できる。私も本当に腹が立って、池上彰氏のコラムの掲載見合わせで、「猛省を」という意見を朝日新聞のホームページに投稿した。原点に戻り、メディアの役割と責任を考えてもらうしかない。

 ただ、朝日新聞の自浄力だけに任せるのではなく、もっと構造的に改革できることはないだろうか。市民目線を採り入れてチェックする方法を模索してほしい。第三者委員会の検証や有識者の紙面審議会だけでは不十分だ。

 きな臭い時代の足音が聞こえる今、権力批判はとても重要だ。大いにやってほしい。そのためにも「クレームこそ社の宝」という姿勢で、朝日新聞の幹部が読者からのすべての意見に目を通し、謙虚に、真摯(しんし)に、街の声を聴いてほしい。


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一日も早い名誉挽回 待っている
保育園職員 ●● ●●(宮崎県 65)

 朝起きてまず朝日新聞を読む習慣は、50年以上になる。他紙の勧誘員は「朝日の人はなかなか乗り換えない」とあっさり帰る。多くの読者もおなじなんだと、うれしくなる。だが、最近は慰安婦報道や池上彰さんのコラムの掲載見合わせなど、「どうしたの?」という思いの連続だ。毎日のような謝罪やおわびにがっかりし、目を通す気力が失せる。

 一連の不祥事は「真実の偽装」と言わざるを得ない。食品産地や賞味期限の偽装など、期待を裏切る行為が多くある。それを批判し、不正をただし、正義を求めるのが新聞の役割のはずなのに。

 新聞は個人の考え方にまで影響を与える。朝日にこだわってきたのは何だったのかと自問自答している。今は小さい声で「まだ朝日をとっています」というしかない。一日も早い名誉挽回(ばんかい)と信頼回復を心待ちにしている。


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先入観を排して取材にあたれ
大学生 ●● ●●(神奈川県 21)

 朝日新聞の謝罪会見が行われた11日、私は別の報道機関で記者職を体験するインターンシップに参加していた。気になる場所に行って記事を書く課題があり、行きつけのバーに取材に行った。

 店のオーナーは普段から親しいので、かなり知っているつもりだった。だが、取材をしてみると、オーナーの人生や店への思いなのど、初めて知ることが多かった。取材する喜びを肌で感じた。

 朝日新聞の報道姿勢は、巨大権力の監視のために、社会に必要なものだ。しかし、一連の誤報に関しては「結論ありき」の取材ではなかったか。自分たちに都合がいいように取材したとしたら、本末転倒だろう。いま朝日新聞に本当に必要なのは、先入観を排して相手のことをしっかり知ろうとする姿勢だ。そして、記者が取材する喜びを実感し、取材の原点に立ち返ることではないだろうか。


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父が好んだ朝日だから悲しい
高校生 ●● ●●(静岡県 15)

 小学校のころ、授業で使うために新聞を持って行くと、先生から「朝日新聞なの?すごいね」と褒められた。

 なぜ褒められたのか分からなかった。理由を聞こうにも父は私が5歳のときに心臓発作で亡くなったため、聞くことができない。ただ、分かるのは父は生前、無類の新聞好きで、その父が好んで朝日新聞を読んでいたということだけだ。朝日新聞は私の小さな自慢になった。

 毎朝、「お父さん、新聞」と言って仏壇まで持っていくことが、いまも日課だ。旅行先では必ず朝日新聞を頼む。父がそばにいると感じられるから。

 その朝日新聞が誤報で非難されている姿を見ると、悲しく、悔しくなる。我が家の新聞は読むためだけでなく、家族の存在を感じさせるものだ。「すごいね」と褒められたあの日のようになるまで、父と一緒に朝日新聞を応援し続けたい。


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慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく関連記事に加え、5月20日に報じた東京電力福島第一原発事故の「聴取結果書」(吉田調書)についての記事の取り消し。さらに、ジャーナリスト池上彰さんの連載コラムの見合わせ。朝日新聞の一連の問題に対し、「声」に寄せられた投書は千通を超えています。多くは厳しい批判です。きょうは「声」特集版で皆様の意見を紹介します。
                                         (「声」編集長 小森 俣良)


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2014年9月18日木曜日

天声人語「痛恨時からの出直し」 2014年(平成26年)9月13日

天声人語は美しい日本語で書かれているらしいので、
それを信じ、真面目に読み解きます。

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2014年(平成26年)9月13日 1面
 http://www.asahi.com/paper/column.html
天声人語

 まっさらな紙に記事が印刷されて、世の中に出ていく。新聞社で働く者の喜びであり、ささやかな誇りでもある。しかし昨日の紙面は、朝日新聞にとって痛恨のものとなった。報道にたずさわる一人として、身が縮む。同僚だれもが同じ心情だと思う。



 当コラムの執筆を任されたころ、敬愛する先輩に言われた。引き継がれてきた1本
のろうそくに、毎日毎日、火をともすように 書く仕事だ、と。小欄だけではない。新聞づくりそのものが、社員全員が真摯(しんし)な気持ちで、日々に新たな火をともす仕事である。



 言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの血が流れ、苦闘があったことか。その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題をめぐる池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった。



 気に入らない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。「あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。古来の至言が、信頼もろとも紙面上に砕け散った思いがした。



 「吉田調書」については、今年5月の小欄でも取り上げている。初報記事とともに「命令違反」の表現が誤っていたことを、おわびいたします。



 砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。深く自省する中で、朝日新聞が言論の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えをしたい。

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 http://www.asahi.com/paper/column.html

--------------------------以下は私の意見です--------------------

 最近の天声人語は新聞の文字が大きくなったのにあわせて、段落を▼で分けるようになったのでしょうか、という感想が一つ。

 そして、▼の前には「。」をつけないで文字数を稼いでいるんだという感想がもう一つです。

 文章としては、どうもすっきりしないので、上の文章ではそこには手を加えました。


 文章ですが、やはり冒頭の表現から非常に気になる表現があります。それは「痛恨」です。

どうしても、謝ったことが「痛恨」だった。(本当は謝りたくなかった)と感じて仕方がないのは、
私が「つうこんのいちげき」世代だからなのでしょうか。

 「痛恨」の意味は「ひどく残念がる」「たいへん恨みに思う」です。

そして根も表現は前日の木村社長の文面では「誤った内容の報道となったことは痛恨の極みでございます。」と原発の報道に関して用いられた表現です。

 やはり、昨日の紙面を非常に残念に思うのであれば、それは誤った報道を行った、
言論弾圧を行ったことではなく、そのことがばれて謝罪せざるを得なかったことが残念だったと筆者は感じていることになります。


 それともう1点、この文章で注目すべきは謝罪の内容が一つ減っていることです。

 今一度文章を読み返してみてください。

 ①慰安婦問題をめぐる池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった。気に入らない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。

 ②「吉田調書」については、今年5月の小欄でも取り上げている。初報記事とともに「命令違反」の表現が誤っていたことを、おわびいたします。

いつの間にか、慰安婦問題の訂正が遅れ、謝罪をしなかった内容が、池上さんの記事の中に取り込まれ、問題点が2つに減されています。

 本当に謝りたくないこと、隠さなければいけないことをさらに大きい謝罪で覆い隠そうとしています。

8月5日の記事を思い出してください。

あの中で朝日新聞は3つの訂正を行いました。
 i) 強制連行を示す証拠は見つかっていないこと。(慰安婦の定義にかかわります)
   このことを追及されると、「いや、広義の強制性はあった」と必ず切り替えしていました。

 ii) 済州島で強制連行をした吉田証言は虚偽であると認めたこと。
   この点は取材が足りなかったと言い訳し、取材不足の反省で乗り切ろうとしました。

 iii) 慰安婦と挺身隊を意図的に混用したこと(慰安婦の規模にかかわります)
   当時は資料が少なく混同したと言い訳しました。

昨日の社長の会見では
慰安婦に関して謝罪したのはii)だけです。

そして今回の天声人語では、その慰安婦すらも池上彰記事掲載拒否の中に混ぜ込みました。
今の時点、彼らが(誰かに知られたくないことは)i)やiii)であることは明白です。

金学順さんの証言を比較する。

ちょうど、金学順さんの証言をまとめていたところに、
よもやレイパーネットのほうから、金学順が何よりの証拠です。と言い出したものだから
何ともびっくりです。さて、ちょうどよい機会なので、このまままとめてみましょう。

元の文章を通して読みたい方は
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/blog-post_17.html
を参照してください。

冒頭に(1993)と書いてある文章は
1993年発行 岩波ジュニア新書 「従軍慰安婦」にされた少女たち より
(2013)と書いてある文章は
2013年発行 岩波ジュニア新書 日本軍「慰安婦」にされた少女たち より引用です。

あと、内容をあわせるために、2013年の文章は多少段落を変更しています。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(1993)⑤ 学順さんが生まれたのは中国東北部吉林省。独立運動にかかわっていたお父さんが、一九一九年の三・一独立運動に参加して日本官憲に追われ、朝鮮にいられなくなったためである。そこでも独立運動をする人たちの仕事を手伝っていたお父さんだったが、学順さんが生まれて一〇〇日もたたないうちに、日本人に銃で撃たれて亡くなってしまう。
------------------------------------
(2013)⑤ 学順さんは一九二四年、中国東北部吉林(チーリン)省で生まれる。母は一五歳で父と結婚、やがて日本人たちにまじって中国へ移住したが、学順さんが生まれて間もなく父が死んだため、母は平壌(平壌)の実家にもどり、何とか学順さんを育てていった。

------------------------------------
※ 1993年ではいきなりお父さんは抗日運動家です。そのせいで朝鮮にいれなくなったと書いていますが、2013年では『日本人にまじって中国に移動』に変更になりました。

※ また、父親の死因も1993年当初は日本人に殺されたことになっていました。

※ 母親の実家は平壌(ピョンヤン)のようです。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(1993)⑥ 乳のみ児をだいたお母さんは故郷へもどり、身内の人びとをたよって学順さんをなんとか育てていった。教会にかようお母さんについてよく教会に行ったけれど、教会をきらう日本の朝鮮総督府は、教会関係者をたくさん殺したりした。「でも母とくらしたあのころが、とても幸せで楽しかった」と学順さんは言われた。

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(2013)⑥ 学費無料の教会に四年ほど通ったのが、一番よい思い出。やがて母は再婚、学順さんは妓生(キーセン)を養成する家の養女となり、学校を卒業。
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※ 1993年のときは母子で教会に通う信心深い親子、その教会を弾圧(殺しています)する日本の図式です。

※ 2013年では母親は再婚し、「妓生(キーセン)を養成する家の養女となり、学校を卒業」と変更されました。義父に疎まれた、母親の再婚の障害だったと考えるのはうがった見方でしょうか?

※ この書き方だと普通の学校に通っているように書かれていますが、実際は「母親からキーセンに売られた」ことになります。なお、この後登場する養父はキーセンの親方で、彼女の母親と再婚した義父ではないようです。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

(1993)⑦ 十七歳のとき、日本の警官が部落の人と一緒にきて、「挺身隊に行けばお金がもうかるし、天皇陛下の命令だから行かなくてはいけない」といい、むりやり日本軍のトラックにのせられる。おなじ部落ののすこし年上の友人も連行されていて、どこへいくかわからないまま、トラックは走ってやがて平壌(ピョンヤン)に着いた。そこから軍人といっしょに記者にのせられ、三、四日のったり降りたり、またトラックで運ばれて、着いてところは弾丸が飛んでくる危険な戦場にほど近い、まっ暗な中国人の家だった。

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(2013)一七歳のとき、仕事をもとめて、すこし年上の友人と一緒に養父に連れられて、中国・北京へ行った。養父と食事をしているとき、日本軍人に呼び止められ、「金もうけのためになぜ中国に来たのか、スパイじゃないのか?」と養父は連れていかれ、学順さんたちは別の軍人に連行され、軍人が四、五十人乗っている無蓋(むがい)のトラックに両側からさっとかつぎあげられて乗せられた。おそろしくなって、友人とトラックの中で身をちぢめて泣いていた。後ろには同じようなトラックがもう一台ついてきていた。ときたま銃声がすると、みんな降りてトラックの下にもぐり、うつぶせになった。やがてあたりが真っ暗ななか、トラックから降ろされ、中国人が逃げて空き家になった家に連行される。
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※ 17歳の話になります。1993年では村にいた時に「挺身隊」として「村の友人と一緒に」連行された、2014年では北京で(キーセンの)友人と軍人に連行されたことになっています。

※ また、2013年の文章は「日本軍人の養父(キーセンの経営者)に対する発言を抜きに考えると北京に(売春婦を)買い付けに着ていた日本軍に「養父が友人と共に売った」と見るのが自然な文章です。

※また、この文章の後半、何気に「まっ暗な中国人の家だった。」→「中国人が逃げて空き家になった家に連行される。」と変更されています。
真偽は不明ですが、中国人がこの後の行為を黙認したと解釈されないよう、文を変更したと思われます。

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(1993)⑧ そしてその家で、軍服を着た日本人将校に学順さんは犯された。
 「抵抗するとけられて、別の部屋につれていかれました。布切れで仕切りをしただけの部屋でした。何もないその部屋で『服を脱げ』といわれました・・・・・・」

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(2013)⑧ その家で、軍服を着た将校(しょうこう)に学順さんは二回も犯された。
「抵抗するとけられて、別の部屋につれていかれました。布切れで仕切りをしただけの部屋でした。何もないその部屋で『服を脱げ』といわれました・・・・・・」
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 ※「日本軍将校」→「軍服を来た将校」の表現に変更されています。彼らはどこの国の人だったのでしょう?

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(1993)⑫ 夜がすっかり明けると、他の部屋に三人の朝鮮の娘たちがいるとわかった。二二歳の「シズエ」さん、一九歳の「サダコ」「ミヤコ」さん。そこで獣のようにすごした。ごはんをくれれば食べる。服をくれれば着る。外に出るときは軍服を着、部屋では下着だけ、反抗すればたたかれる。「軍人が戦闘からもどってくると、一〇人でも二〇人でも受け入れるしかなかったので、その苦痛は言葉では表現できません」

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(2013)⑫ 夜がすっかり明けると、他の部屋に三人の朝鮮の娘たちがいるとわかった。二二歳の「シズエ」さん、一九歳の「サダコ」「ミヤコ」さん。そこで獣のように扱われてすごした。ごはんをくれれば食べる。服をくれれば着る。外に出るときは軍服を着、部屋では下着だけ、反抗すればたたかれる。「軍人が戦闘からもどってくると、一〇人でも二〇人でも受け入れるしかなかったので、その苦痛は言葉では表現できません」

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※ ここは微妙な表現の変更です。「そこで獣のようにすごした。」→「そこで獣のように扱われてすごした。」獣のように扱われても、人間の心持は忘れていないといいたいのでしょうか?

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(1993)⑬ 四カ月たったころ、たまたまある朝鮮兵に出会って、二人でいっしょに軍から脱け出し、中国各地を転々と逃亡しながら子どもを産み、上海(シャンハイ)で解放をむかえる。

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(2013)⑬ 四カ月たったころ、たまたま部隊と来たある朝鮮人商人に出会って、彼の手引きで逃げだし、中国各地を転々と逃亡しながら子どもを産み、上海(シャンハイ)で解放をむかえる。

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※ 「朝鮮兵」→「部隊と来たある朝鮮人商人」と変更されました。慰安所を朝鮮兵が利用していると都合が悪いと考えたのでしょう。

※ 「二人でいっしょに軍から脱け出し、」→「彼の手引きで逃げだし」手に手をとっての逃避行から、手引きに変更されています。一人で逃げ出したということなのでしょう。

※ その後結婚したと書いてあるので、(かわいそうに思った)朝鮮人商人に買われたと解釈もできます。こうなると逃亡ではありません。

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これだけの疑問がわいてきます。


なお、本文の対比はホームページ載せました。
http://asahikiji.webcrow.jp/warehouse/index.html

2014年9月17日水曜日

金学順さんの生い立ち 「従軍慰安婦」にされた少女たち/日本軍「慰安婦」にされた少女たち から

慰安婦問題では新聞記事ばかりが注目されていますが、
実際、そのころの日本では「従軍慰安婦」はどう語られていたのか、記載しました。
なんとも、朝日新聞が言っていた、強制性の問題ではない、という言葉が空々しく聞こえます。
さて、以下の文章でどれだけ「日本」が登場するのでしょう。

(追記)まだ書き写せていない状態ですが、本日
日本軍「慰安婦」にされた少女たち 2013年11月20日発行 が手に入りました。
元の文章から20年、当然、この下に書かれている金学順さんの証言も
大きく書き換えられています。
とはいえ、この文章では「 一九九一年一二月九日、YMCAアジア青少年センターでの講演内容」のはずですから、内容が変わるはずはないのですが。

非常に興味深いのですので、比較対象もやがて行います。

まずは1993年当時の文面をお読みください。

※ なお、文の最初に①などついていますが、これは、今後の比較用のため、私が書き足した
ものです。



1993年6月21日発行
「従軍慰安婦」にされた少女たち 石川 逸子 (著)
岩波ジュニア新書222 より
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8ページから

川瀬牧子の感想 「正しく伝えたいから」 ― 金学順さんのお話

① 「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣すると言ってるじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです。日の丸をみただけでもふるえがくる。日本にくるときに飛行機にのったのですが、ちょうど席が翼の近くでそこに赤い日の丸が見えて、見るだけでからだがふるえました。からだの力がぜんぶぬけました。私の敵は日本なのに、私に女を捨てさせたのは日本なのに、どうして私は日本の飛行機にのって日本に行かなければならないのか、と思いながら来たのです。だからお願いします。どうかもう戦争だけはしないで。過去にあったことを明らかにしてください」

② 一九九一年一二月九日、東京・水道橋にあるYMCAアジア青少年センターの会場につめかけた四五〇人の聴衆に、静かに証言された金学順(キムハクスン)さんは、最後をそうしめくくられた。

③ 金学順さんは前年六月、「従軍慰安婦なるものは民間業者がつれ歩いたもので、国はかかわりない」と国会で答弁した日本政府にいきどおり、<私が生きているかぎり、そういうことはいえないはず>と、名のり出られたかたである。

④ 日の丸を見ただけでからだがふるえるという金学順さんの生涯 ― その理由(わけ)を、在日同胞の招きで初日された学順さんは、つとめて冷静にそして毅然(きぜん)と語られた。

⑤ 学順さんが生まれたのは中国東北部吉林省。独立運動にかかわっていたお父さんが、一九一九年の三・一独立運動に参加して日本官憲に追われ、朝鮮にいられなくなったためである。そこでも独立運動をする人たちの仕事を手伝っていたお父さんだったが、学順さんが生まれて一〇〇日もたたないうちに、日本人に銃で撃たれて亡くなってしまう。

⑥ 乳のみ児をだいたお母さんは故郷へもどり、身内の人びとをたよって学順さんをなんとか育てていった。教会にかようお母さんについてよく教会に行ったけれど、教会をきらう日本の朝鮮総督府は、教会関係者をたくさん殺したりした。「でも母とくらしたあのころが、とても幸せで楽しかった」と学順さんは言われた。

⑦  十七歳のとき、日本の警官が部落の人と一緒にきて、「挺身隊に行けばお金がもうかるし、天皇陛下の命令だから行かなくてはいけない」といい、むりやり日本軍のトラックにのせられる。おなじ部落ののすこし年上の友人も連行されていて、どこへいくかわからないまま、トラックは走ってやがて平壌(ピョンヤン)に着いた。そこから軍人といっしょに汽車にのせられ、三、四日のったり降りたり、またトラックで運ばれて、着いてところは弾丸が飛んでくる危険な戦場にほど近い、まっ暗な中国人の家だった。

⑧ そしてその家で、軍服を着た日本人将校に学順さんは犯された。
 「抵抗するとけられて、別の部屋につれていかれました。布切れで仕切りをしただけの部屋でした。何もないその部屋で『服を脱げ』といわれました・・・・・・」

⑨ それからしばらく学順さんの沈黙がつづき、やがてうなだれて聞いている私の耳に、また語りだした学順さんの声が聞こえてきた。

⑩ 「恥ずかしいからこんなことはいうまいと思っていました。でも正しく伝えたいから・・・・・・。この話をしようとすると胸が痛みます。『服を脱げ』といわれてどうして脱げますか? 将校はおそってきて服を破りました。そして・・・・・・そのときのことをどういいあらわしたらいいかわかりません。女としてはじめてのことで・・・・・・、あの苦痛はほんとうに言葉ではいいあらわせません。あの将校にからだを踏みにじられて、私はもう娘ではないのだと思うと、悲しくてくやしくて・・・・・・」

⑪ となりの部屋で、すこし年上の友人もまた別の将校に犯されていた。夜明けがたようやく将校が去ったあと、その姉さんがやってきて「こんなところでどうやって生きていけるのか? 私たち死にましょう」といったけれど、「言葉ではいえても死ぬことはやさしいことではありません」と学順さんはいわれた。

⑫ 夜がすっかり明けると、他の部屋に三人の朝鮮の娘たちがいるとわかった。二二歳の「シズエ」さん、一九歳の「サダコ」「ミヤコ」さん。そこで獣のようにすごした。ごはんをくれれば食べる。服をくれれば着る。外に出るときは軍服を着、部屋では下着だけ、反抗すればたたかれる。「軍人が戦闘からもどってくると、一〇人でも二〇人でも受け入れるしかなかったので、その苦痛は言葉では表現できません」

⑬ 四カ月たったころ、たまたまある朝鮮兵に出会って、二人でいっしょに軍から脱け出し、中国各地を転々と逃亡しながら子どもを産み、上海(シャンハイ)で解放をむかえる。

⑭ それから学順さんの半生の苦労の連続となるのだが、会場からのいくつかの質問のなかで、学順さんがつぎのようにいわれたことに私は胸を刺された。

⑮ 「来るときは飛行機のなかで胸の痛む思いをして、タタミの部屋を見てまた胸を切り刻まれるような思いをしました。五十数年前に見たタタミの部屋とおなじだったからです」

⑯ すこし以前の日本の部屋には必ず敷かれていた畳表。その畳の部屋に、生涯忘れない屈辱の記憶をもちつづけている韓国の女性たちがいたのだった。そして同性でありながら将校たちと同民族である私には、学順さんの話を聞くまで、畳をそのような目で見ている人がいるなど夢にも思いおよばないことであった。

⑰ 私は敗戦時、一二歳で女学校一年生。病弱の母と二人で長野県の上諏訪に疎開していたが、もし私がとなりの国に生まれていたら、ぶじでありえただろうか。姉たちは、すこし年上の友人たちは。

⑱ 天皇の軍隊「皇軍(こうぐん)」によって、金学順さんのように「従軍慰安婦」にさせられた女性たちの大半は、朝鮮人であるという。わずかな海峡一つへだてたとなりに「日本」という国があったがために、たったいちどの人生を踏みにじられ、めちゃめちゃにされてしまった多くの女性たちがいたことを、千田夏光氏、金一勉(キムイルミヨン)氏の著書などで知りながらふかく心にかけないできた自分だった、とあらためて思う。

⑲ 金学順さんの証言のまえに、韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺身隊協議会)書記の金慧媛(キムヘウオン)さんが、
 「学順さんは日本にとって救いの人です。彼女は、人間は人間らしく生きるため過去を素直にあやまり、真の友好がはじまることを願って、その恥部をさらすために来られたのです」
といわれた言葉も心にのこった。

⑳ 先にはおなじく挺身隊協議会共同代表の尹貞玉(ユンジョンオク)さんが来日され、その話は私も聞きにいったのだが、尹さんは、男性が女性の人格を認めず、ものとか便所のように相手の人格を破壊することができるのは、男性の人格がすでに破壊されているからだ。といわれた。また、日本人女性は韓国人に対しては加害者だけれど、女性という天では被害者だ。「従軍慰安婦」でなかった日本の女性たちは、天皇のために喜んで死ぬ「天皇の赤子(せきし)」を産む「赤子生産器」にされたのだから、「両国の私たちは歴史に新しい章を開くために必要な経験をもっているのです」と語られた。
 尹貞玉さん、金慧媛さん、このようなかたたちのふかい支えと明晰な(めいせき)な歴史感のなかで、金学順さんもはじめて名のりでる勇気をもたれたのであろうと思い、かえりみて日本の女性である私は恥ずかしかった。

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こ内容は今回、2013年に発行された本との対比のため、
ホームページにも書いてあります。
http://asahikiji.webcrow.jp/warehouse/index.html

2014年9月15日月曜日

隠された 過去を見つめて 1992年10月15日

植村隆記者の記事はどうしても
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/09/1991812.html
この「慰安婦の痛み、切々と」 1991年8月12日 ばかりが取り上げられるのですが
そのほかの記事はどうなっているのか、確認した中での記事です。

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1992年(平成4年)10月15日 [別刷特集](2)

隠された 過去を見つめて

植村 隆 外報部記者

◇戦時中の従軍慰安婦問題は、長い間正視されずにいた。元従軍慰安婦、金学順さんの訴えを北海道新聞などが実名で報道下のは昨八月のことだ。今年一月には、旧日本軍の関与を示す資料が防衛研究図書館にあったことを朝日新聞が報じた。首相訪韓を前に、政府は軍の関与を初めて認め、「民間業者が連れ歩いていた」(九〇年六月の国会答弁)との従来の見解を大きく転換した。歴史の暗部にようやく光があてられつつある。

◆植村隆・朝日新聞外報部記者(三四) 大阪社会部時代の九〇年夏、「清算されない昭和」の取材で韓国へ行った。二週間駆け回ったが、従軍慰安婦当事者の話を聞けず、結局は何も書けなかった。翌年夏、ソウル支局からの情報で再び韓国を訪れ、匿名だったが、金さんが女性団体に過去を語り始めた事実を紹介することができた。隠された歴史を発掘し記録することが、新聞の使命だと思う。記録しなければ、その歴史が「なかったこと」にされてしまう。フィリピンや台湾でも「慰安婦だった」と名乗り出る人が相次ぎ、一連の報道は広がりも生んだ。

社説 論じることの原点を心に刻んで 2014年9月13日

2014年(平成26年)9月13日 12面
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社説 論じることの原点を心に刻んで
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 朝日新聞は、戦後に例がない大きな試練を自ら招いてしまいました。

 一昨日、木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、福島原発事故での「吉田調書」をめぐる誤報や、慰安婦報道での間違った記事の撤回の遅れなどを謝罪しました。

 「吉田調書」は、社説でも取り上げ、全面公開を求めました。その中で、誤報だった記事に基づいて「所員の9割が命令に反して10キロ余り離れた別の原発に一時退避」や「所長の指示・命令が守られず」という表現を使いました。社説を担う論説委員室として、読者や関係者の方々にかさねて深くおわびします。

 また、慰安婦報道検証や、それについて論評した池上彰氏のコラム掲載見合わせも、重い問題だと受け止めています。

 私たち論説委員は、社説などの欄で、あるべき社会の姿について主張をし、ときに人や組織を批判する役割を担っています。

 しかし、その土台を大きく損なってしまいました。どんな主張をしても「お前にそれを言う資格があるのか」と厳しく問われるからです。

 私たちはその批判と誠実に向き合い、読者の信頼回復に努めなければならないと感じています。そのうえで、論じるべきことを論じるのは依然として自分たちの責務だと考えます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇
反証と異論に謙虚に
◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 読者やほかのメディアから、たくさんの批判をいただきました。一番重く受け止めなければならない指摘の一つは「自分たちの主張に都合の良いように事実を集めたのではないのか」だと思います。

 日々、論じることを仕事としている論説委員も、つねにその危険に近いところにいます。

 論を紡ぐ過程で、主張への反証となる事実への謙虚な姿勢を失えば、それは空論や暴論となります。また、そこに陥らないようにする上で、あるいは自分たちが陥ってもそれを批判する視点を読者に確保する上で、大切なもう一つのことは、異論に紙面を開く姿勢にほかなりません。

 朝日新聞はそのためにオピニオン面をとりわけ重視し、社説とは異なる論も含めた多様な意見を掲載することに力を入れてきました。それだけに池上氏のコラムの掲載見合わせは、自分たちが一番大切にしていた価値を損ねる結果になりました。

 慰安婦報道の影響については、今後、第三者機関で検証を進めてもらいます。ただ、たとえば1997年に一度検証をしながら、吉田清治氏の証言を虚偽だと断定し記事を取り消せなかったのは、反証となる事実や異論への謙虚さが欠けていたからではないかと自問せずにはいられません。
 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇
議論をゆがめた誤報
◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 朝日新聞が8月、自身の慰安婦報道の検証を紙面に掲載したのは、慰安婦問題を直視するには、過去の誤った記事が妨げになっていると考えたからです。

 かつての報道を明確に取り消さないかぎり、「朝日の慰安婦報道問題」が前面に出てしまい、本来の「慰安婦問題」が背後に退いてしまう。朝日報道への批判とともに、議論がナショナリズムの対立に大きく傾く。日本で嫌韓本がはやり、韓国の団体は慰安婦の像を国内外に建てる。お互いに挑発する不毛な応酬。その結果、被害者の救済という一番大事な問題の解決が置き去りになっていく――。そんな状況を打開したいと考えたからです。

 にもかかわらず、原発事故に関する「吉田調書」の誤報で再び議論の核心をゆがめかねない同じ過ちを繰り返してしまいました。原発問題という大切な議論をしなければいけない言論空間に、「朝日の原発報道問題」というもう一つの問題を作ってしまったからです。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇
論じ続ける責務
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
 私たちは、慰安婦問題の本質とは、戦時下の女性の尊厳や人権であり、取り組まなければならないのは被害者の救済や日韓の和解であると主張してきました。

 また、吉田調書を含め関係者の証言や記録の吟味は、日本の今後の原子力行政に欠かせない作業だとも考えています。

 その意味でも、慰安婦問題や原発問題の議論が、自らの失態で後方に退いたり、ゆがんだりしたままにならないように論じ続けることは、私たちの責務だと思っています。

 もちろん、論じることを読者に説得力を持って受け止めていただくためには、反証となる事実や異論に謙虚になるという原点を改めて心に刻まなければならないと痛感しています。

 その自覚をもって、今の日本にとって重要な数々のほかの課題についても、私たちはこれからも社説などを通して言論人としての使命を果たしていきます。批判に耳を傾けながら、多様な議論の発展に貢献したいと考えます。

ご愛読者のみなさまへ深くおわび申し上げます 2014年9月14日 折り込み

2014年09月14日の朝刊に一緒に折り込まれていたそうです。
(私は写真でしか見ていないため、どの区域に配られたものなのかなど、
詳しくは不明です)

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ご愛読者のみなさまへ深くおわび申し上げます

謹啓

 初秋の候、朝日新聞の読者のみなさまにおかれましてはご清栄のこととお喜び
申し上げます。いつも朝日新聞をお読みいただいて、ありがとうございます。こ
のたびは弊社の「慰安婦問題特集」「池上彰さんのコラム『新聞ななめ読み』」「福
島第一原発事故に関する吉田調書の記事」をめぐる問題で、大変なご心配を
おかけするとともに、紙面に対するみなさまの信頼を損ねる結果となり、ご迷
惑をおかけいたしました。あらためて深くおわびいたします。申し訳ございませ
んでした。

 このたびの件を反省し、弊社は、「信頼回復と再生のための委員会」を立ち上
げ、取材・報道上の問題点を早急に点検、検証し、紙面づくりにいかしてまいり
ます。また、慰安婦報道につきましては社外の有識者による第三者委員会を新
設して、過去の期維持の作成や訂正に至る経緯、今回の特集記事の妥当性、朝日
新聞の記事が国際社会に与えた影響などについて検証いたします。吉田調書に
つきましては、誤った記事がもたらした影響などについて、弊社の第三者機関で
ある「報道と人権委員会」に審理をお願いいたしました。朝日新聞社外の目でも厳
しくご審議をいただき、その結果は紙面でお知らせいたします。

 朝日新聞社は、今回の一連の事態を大きな教訓として胸に刻みます。さまざ
まなご意見やご批判に謙虚に耳を傾け、初心に帰って、みなさまの信頼を回復
できるように、社員一丸となって精進してまいります。どうか、弊紙と弊社の今
後の取り組みを厳しく見守っていただけますよう、切にお願い申し上げます。

 これからますます秋が深まります。どうかご自愛のうえお過ごし下さいます
ようお祈り申し上げます。

                                           敬白

                                       朝日新聞社

1992年1月朝日新聞報道

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1992年(平成4年)1月11日
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-1面-(トップニュース)
○ 慰安婦 軍関与示す資料
・ 防衛庁朝刊に旧日本軍の通達・日誌
・ 部隊に設置指示
・ 募集含め統制・監督
・ 「民間任せ」政府見解揺らぐ
・ 参謀長名で、次官印も
・ 軍関与は明白 謝罪と補償を 吉見義明・中央大教授の話

-30面-
○ 慰安婦問題の主な資料要旨
・ 募集など派遣軍において統制
・ 憲兵・募集当局との連携密に
・ すみやかに性的慰安の設備を

-31面-
○ 朝鮮人慰安婦への軍関与資料
・ 「謝罪を」「補償を」の声さらに
・ 政府の「無関係」に批判
・ 不十分な調査示す 女性史研究家で朝鮮人慰安婦問題に取り組んでいる鈴木裕子さんの話
 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%A3%95%E5%AD%90_(%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F
%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%AE%B6) この人です)
・ 軍の関与は明らか 元陸軍少尉で漢口(中国)兵站司令部の慰安係長だった山田清吉さんの話
 (http://fightforjustice.info/?page_id=2401 この人です)

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1992年(平成4年)1月12日
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-2面-
○社説 歴史からめをそむけまい
http://asahishinbunkiji.blogspot.jp/2014/08/1992112.html

-3面-
○慰安婦問題 国の責任に初の言及
・官房長官「軍関与、否定できぬ」
・「認めざるを得ない」軍関与で渡辺外相

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1992年(平成4年)1月13日
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-1面-(トップニュース)
○従軍慰安婦問題 首相、訪韓地に謝罪
・軍の関与認める
・官房長官表明「補償は処理済み」

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1992年(平成4年)1月14日
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-1面-
(・阿部元長官を逮捕(この日はこれがトップニュースです))
○慰安婦問題 政府が正式謝罪
・官房長官談話発表 首相訪韓地に表明

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1992年(平成4年)1月15日
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-1面-
(・共和から阿部元長官「宮沢派へ」と1億円受領(この日はこれがトップニュースです))
○慰安婦問題 首相が謝罪表明
・「胸の詰まる思い」あす訪韓

-30面-
○謝罪と戦後補償などを求め 13団体がスクラム 東京で集会
・慰安婦110番に約70件の情報 元兵士や従軍看護婦
・「戦中の勤労奉仕隊11歳の少女も動員」
・韓国各誌、非難の報道【ソウル14日=小田川興】

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1992年(平成4年)1月16日
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-30面-
○慰安婦問題 ソウルで抗議のデモ【ソウル15日=小北清人】
○長崎・軍艦島の炭鉱で戦前戦中、120人以上の朝鮮人労働者が死んだ
・「名簿と遺骨渡せ」韓国・全州で遺族ら会合へ

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1992年(平成4年)1月17日
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-1面-(トップニュース)
○韓国大統領 非軍事の貢献要請
・日韓首脳会談 貿易は譲歩期待
・PKO法案 首相、理解求める

-2面-
○北朝鮮も謝罪対象
・慰安婦問題で政府首脳
○日朝正常化交渉に核査察が絶対条件 宮沢首相が表明【ソウル16日=土屋弘】
○「反省土台に壁崩す努力」韓国大統領あいさつ【ソウル16日=波佐場清】
○「日韓協力」像にズレ 
・政治面で韓国に警戒感
○日韓首脳会談 要旨

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1992年(平成4年)1月17日(夕刊)
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-1面-(トップニュース)
○慰安婦問題で公式謝罪
・宮沢首相 日韓首脳会談で表明
・貿易不均衡是正 6月までに計画
・民間協議の場も設置
・天皇訪韓を大統領要請
○慰安婦問題 「胸がつまる思い」
・首相、真相究明を約束

-2面-
○日韓首脳会談の要旨
・日韓首脳共同会見(要旨)

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1992年(平成4年)1月18日
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-2面-
○社説 日韓の未来開く土台づくりを
○改名 政府関与に限定
・慰安婦問題 具体策は浮かばず
○韓国与野党幹部と懇談 首相 【ソウル17日=波佐場清】
○マスコミ論調は辛口
・韓国各誌 「感情の溝深まった」【ソウル17日=波佐場清】
○慰安婦い問題で真相究明指示 盧大統領【ソウル17日=波佐場清】
○韓国国会での宮沢首相演説 要旨

-3面-
○時時刻刻
・通じなかった「謝罪」頼み
・従軍慰安婦問題
・日本政府認識に甘さ
・首相「厳しい訪問でした」
・「補償を」の声 高める韓国人

千田夏光 従軍慰安婦 を読む

慰安婦とは弱い戦力が強い戦力と戦うときに
あてがわれる女性だと言うことが徐々に理解できるようになりました。
(女性の人権で不愉快に思われると思いますがご理解ください。)
(千田夏光氏の本(1973)より、この当時の文献は従軍慰安婦での団体の方針も定まっておらず
 今読むと否定したくなるような内容も、納得できる内容も混在します。)
①ましてや、攻撃後、その土地を統治(治めよう)とした場合に、統治後の治安の維持のために
住民の反発を招かないように必要と考えられていたようです。
②また、性病防止の観点からも衛生管理された慰安婦が必要とされていました。
①については、ライダイハンのように、統治する意思がなければ慰安婦は必要ないと判断できます。
 また、弱い軍故に、占領地で統治される国に慰安婦(洋公主など)を作るように丸投げもできないわけです。
②については性病によって戦いに従事できないものが3割にも上るケースもあったとのこと
 つまり100人の兵を送っても実際に戦える兵は70人しかいない。
 そして、一度性病にかかった兵は足腰が弱り包囲戦で有効な戦力となり得ない。
(女をやっつける兵ほど強い兵なので、性犯罪を犯した兵を処分できなかったという話もあるようです)
これが日本軍が従軍慰安婦を必要とした理由のようです。

ところで、日本軍(日本陸軍)にとって、慰安婦の教訓になったと思われるのは
シベリア出兵だそうです。
日本軍は出兵し、民間の売春婦もそれを追ってシベリアに行ったそうですが、
日本から兵を追ってシベリアに行った売春婦は、日本軍の10倍の給料をもらうアメリカ軍に先に買われてしまったそうです。
日本軍は徴兵で給料が安く、アメリカ軍は志願兵で給料が高かったことが大きく影響しており、
また、国力に勝る外国は定期的に母国に戻り、母国の歓楽街に戻ることができたのですが、
国力に劣る日本は、そのまま戦地にとどまり続けるしかなかったことっも従軍せざるをえなかった理由のようです。

2014年9月14日日曜日

【こんな記述を見つけました。】”声なき女”八万人の告発 ― 従軍慰安婦

こんな記述を見つけました。


1973年10月発行
”声なき女”八万人の告発 ― 従軍慰安婦
千田 夏光
おわりに(P215~) より一部抜粋
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(略)
 だが、それはそれでいいとして、とすると慰安婦という存在は何だったのだろうか。
 三年半ほどまえ、慰安婦について私が多少知っているという話を伝え聞いて、新左翼系女子学生がたずねて来た。C大学に所属し、C派閥に属すると語っていたが、
「新左翼系の男子学生幹部は”カアちゃん”と呼ぶ女子学生を持っている。これを持たないと派閥の中で大きな顔ができないのです。そのカアちゃんは言ってみれば慰安婦なのです。なかには三回も四回も妊娠中絶させられた者もいます。それでいて男子幹部は彼女らがそれに甘んじるのが革命的行為であると言い、カアちゃんたちもそれを信じているのです。間違っていると思いませんか」
 まるで私がその男子学生のように迫ってくるのであった。彼女の言いたいのは”慰安婦”は死語でなく新左翼の中に生きていると言うのであった。彼女は派閥の全学連大会でそれを告発の意味をこめて熱っぽく訴え、私に応援してくれと言うのであった。
 (略)

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さて、一部だけを抜粋しました。この後、千田夏彦氏はこの説を否定しますが、
このころは「広義の強制性」の概念はありませんでした。
この「カアちゃん」達には「逃げれない」・「裏切れない」という広義の強制性があったのではないでしょうか?

とすると、まさに今慰安婦問題を作り出している日本のサヨクの方々こそ

現代に慰安婦を作り出している方々ではないでしょうか?

みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長 2014年(平成26年)9月12日

緊急にこちらが正しく訳されているか検証する必要がでてきました。
なお、URLが「SDI201409125171.html」になっているところが気になるところです。

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I apologize to our readers and other people concerned By TADAKAZU KIMURA/ President of The Asahi Shimbun

(直訳)私は、私たちの読者や他の関係者に謝罪します。朝日新聞社社長・木村伊量

(元記事)みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長
■朝日新聞社社長・木村伊量

△△△△△△△△△△△△△△
※ なんでしょう、冒頭からさっぱりです。
謝罪したのは「読者」と「関係者」です。日本語の「みなさまに」とは意味が大幅に異なると感じるのですが、
英語ではこれが普通なのでしょうか?

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The Asahi Shimbun independently obtained a copy of the "Yoshida Testimony" at a time when the central government had not yet released the document compiled by the government's Investigation Committee on the Accident at the Fukushima Nuclear Power Stations of Tokyo Electric Power Co.

(直訳)朝日新聞は、独自に当時、政府がまだ公開していないとき、東京電力の福島原子力発電所での事故で政府調査委員会がまとめた文書、「吉田証言」のコピーを入手しました。

(元記事) 朝日新聞は、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した、いわゆる「吉田調書」を、政府が非公開としていた段階で独自に入手し、

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The first article about that testimony appeared in the morning edition on May 20, 2014.

(直訳)その証言についての最初の記事は2014年5月20日に朝刊に掲載されました。
(元記事)今年5月20日付朝刊で第一報を報じました。

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The article reported that "about 650 TEPCO and other workers, or 90 percent of the total number who were at the Fukushima No. 1 nuclear plant on the morning of March 15, 2011, four days after the reat East Japan Earthquake, went against the order by plant manager Masao Yoshida to wait for further instructions and withdrew to the Fukushima No. 2 nuclear plant 10 kilometers to the south."

(直訳)記事では、「東日本大震災の4日後、2011年3月15日の朝に福島第一原子力発電所にいた約650人もしくは総数の90%にあたる東京電力及び他の労働者が、吉田昌郎所長の指示を待つようにという命令に逆行し、南に10キロ離れた福島第2原発に撤退したと報じました。

(元記事)その内容は「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」というものでした。

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While introducing the comments made by Yoshida, the article drew the lessons of the severe accident and called on the central government to release the entire document.

(直訳)吉田のコメントを紹介しながら、記事では、過酷事故の教訓を描き、文書全体を解放するために政府に呼びかけた。

(元記事)吉田所長の発言を紹介して過酷な事故の教訓を引き出し、政府に全文公開を求める内容でした。

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※私は慰安婦に関する報道を検証しているので、ここに関してあまりコメントはしたくないのですが、動機は「過酷な事故の教訓を引き出すこと」と書いています。疑問を感じざるを得ません。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

However, as a result of a detailed internal examination, the judgment was made that it was a mistaken article that gave the impression that many TEPCO employees had abandoned the plant because it reported that they had "withdrawn against the order," which was based on an erroneous appraisal made in the course of reading and trying to understand the Yoshida testimony.

(直訳)しかし、詳細な内部調査の結果、吉田証言を読んで理解する過程で、誤った評価に基づき、「命令違反で撤退」と報じたため、多くの東電社員が工場を放棄していたかのような印象を与えた誤った記事と判定しました。

(元記事) しかし、その後の社内での精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、「命令違反で撤退」という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。

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We retract the article that reported they had "withdrawn against the order," and we also offer deep apologies to readers and those at TEPCO.

(直訳)私たちは、「命令違反で撤退」の記事を撤回し、それとともに、私たちは読者や東京電力の皆様に深くお詫び申し上げます。

(元記事)「命令違反で撤退」の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。

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※ ここでの表現は注目かもしれません「we (also) offer deep apologies」=「深くおわびいたします。」です。

※ さらに書きますと、日本語では「読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに」「深くおわびいたします。」ですが、英文では「 to readers and those at TEPCO(読者や東京電力の皆様)」に「we also offer deep apologies (深くお詫び)」となっています。
句読点の位置で「をはじめ、みなさまに」を一般的な皆様と読ませようとしているのでしょうか?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

In line with this, Nobuyuki Sugiura, who is in the highest position of responsibility in the news department, will be relieved as executive editor.

(直訳)これに伴い、ニュース部門の責任の最も高い位置にある杉浦信之編集担当を解任します。

(元記事)これに伴い、報道部門の最高責任者である杉浦信之編集担当の職を解き、

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Disciplinary measures will also be taken for others involved in the matter.
(直訳)処分はまた、この問題に関与したほかの者にも行われます。

(元記事)関係者を厳正に処分します。
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※ まず、杉浦信之氏は今回の慰安婦特集「慰安婦問題の本質 直視を(8/5) ■編集担当 杉浦信之」を書いたひとです。職を解かれてしまうと、あの8月5日の文章の責任は誰がとるのでしょうか?

※ また、ここまでの文章から、処分は「慰安婦問題」による処分ではなく「原発報道」に関する処分であることがわかります。

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Of course, I cannot avoid responsibility as the top leader in charge of management.

(直訳)もちろん、私は管理担当最高指導者としての責任を回避することはできません。

(元記事)むろん、経営トップとしての私の責任も免れません。

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 I seriously consider the situation a crisis because it is not limited to the article in question, but it has
greatly damaged the trust of our readers in the company as a whole.

(直訳)私は真剣に、このことだけに限定されるものではなく、全体として会社は読者の信頼を大きく損なっている危機的状況だと考えています。

(元記事)この報道にとどまらず朝日新聞に対する読者の信頼を大きく傷つけた危機だと重く受け止めており、

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※ ここまで、慰安婦に関しては全く触れていないのですが、「この報道にとどまらず」に慰安婦に関することを何気なく混ぜているのでしょうか?
今回の処分が慰安婦報道に関することを含んでいるのかまれているのかどうか、あいまいなままです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

I will make a prompt decision on whether I should resign after I play a leading role in setting the course toward revitalization of the company through a drastic reform centered on the news department.

(直訳)私は、ニュース部門を中心とした抜本的な改革を通じて企業の活性化に向けて道筋を設定する際に主導的な役割を果たした後、私は辞任すべきかどうかの迅速に決定を下します。

(元記事)私が先頭に立って編集部門を中心とする抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で、すみやかに進退について決断します。

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※ 訳が間違っているわけではないのですが、「私が先頭に立って編集部門を中心とする抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で」がやはり引っかかります。

 この文章のなかには出てきていないのですが、池上彰さんの連載コラムを掲載しなかったことに関して、木村社長は「私(木村社長)は編集担当の判断にゆだねた(朝日新聞朝刊)」と語っていますが、実際のインタビューではその前に「感想は言ったと思うが」と発言しています。
また文春では「こんなもの、載せられるわけないだろう」と一蹴したと聞いています」と書かれています。
これが真実なら木村社長は部下(杉浦)に責任をなすりつけて、自分自身は「再生に向けておおよその道筋をつける」としているのです。信頼おけるのでしょうか?


※ こんな記事も発見
http://biz-journal.jp/2013/05/post_2058.html
元々、今の社長は2016年には引退予定だったという記事が。後任は持田周三・現北海道テレビ取締役か西村陽一・朝日新聞社デジタル事業本部長(後ででてきます)だそうです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

During that time, I will return my entire remuneration as president.

(直訳)その間、私は社長として私の全体の報酬を返します。

(元記事)その間は社長報酬を全額返上いたします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

If the Asahi had not reported on the Yoshida testimony based on its independent information-
gathering, the contents of that testimony would likely have never been known by the public.

(直訳)もし朝日(新聞)が、その独自の情報収集に基づいて、吉田調書を報道していなかったら、その証言の内容は、おそらく大衆に知られていなかったであろう。

(元記事) 吉田調書は、朝日新聞が独自取材に基づいて報道することがなければ、その内容が世に知らされることがなかったかもしれません。

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Because we felt there was a major significance in bringing the matter before the public, it is
extremely painful that the reporting contained erroneous contents.

(直訳)私たちは、世に問うことに主要な意義があったが、それは報告に誤った内容が含まれていることが非常に痛いです。

(元記事)世に問うことの意義を大きく感じていたものであるだけに、誤った内容の報道となったことは痛恨の極みでございます。

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※ 「誤った内容になった」と日本語では書かれていますが、「the reporting contained erroneous contents.(誤った内容が含まれていた)」が英語です。
誤報を矮小化しようとしているのでしょうか?
この理屈なら、誤った内容が含まれた慰安婦問題は、朝日新聞は取り消さないといけませんね。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

At the present time, we believe the reason lies in such overlapping factors as the assumptions held
by those involved and insufficient checking of the article.

(直訳)現時点では、関係者が仮説を持っていたこと、記事のチェックが不十分だったことが重なったと私たちは考えています。

(元記事)現時点では、思い込みや記事のチェック不足などが重なったことが原因と考えておりますが、

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 We will set up at an early stage a committee centered on the new executive editor to work toward
regaining trust and revitalization.

(直訳)私たちは新しい編集担当を中心に「信頼と活性を取り戻すための委員会」を早い段階で設定します。

(元記事) 新しい編集担当を中心に「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を早急に立ち上げ、

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※ ここで登場する「新しい編集担当」とは西村陽一取締役・デジタル・国際担当です(朝日新聞朝刊より)

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From all possible perspectives, the panel will bring to light the various problems that arose in the
information-gathering and reporting and study what is now required to regain the trust of our readers
with the resolve to start again from zero.

(直訳)すべての可能な観点から(委員会の)委員には取材や報道のさまざまな問題に光をあて、ゼロから再起動する決意で、いま読者の信頼を取り戻すために何が必要か検討する。

(元記事)あらゆる観点から取材・報道上で浮かび上がった問題点をえぐりだし、読者のみなさまの信頼回復のために今何が必要なのか、ゼロから再スタートを切る決意で検討してもらいます。

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At the same time, I have asked the Press and Human Rights Committee (PRC), an internal third-party
organ of The Asahi Shimbun, to conduct an examination of the effects that were brought about because of the erroneous article.

(直訳)同時に、私は朝日新聞社内の第三者機関「報道と人権委員会(RPC)」に、誤った記事をもたらした影響の検討を行うように申し立てを行いました。

(元記事) 同時に、誤った記事がもたらした影響などについて、朝日新聞社の第三者機関である「報道と人権委員会(PRC)」に審理を申し立てました。

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I will ask the panel to conduct its examination in a prompt manner, and we will present the results
in the pages of the Asahi.

(直訳)私は速やかに審査を行うよう委員にお願いしました。そして、私たちは朝日新聞の紙面で結果を発表します。

(元記事)すみやかな審理をお願いし、その結果は紙面でお知らせいたします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

I also want to explain our coverage of comfort women for which various issues have been pointed out
and for which we have received criticism.

(直訳)私はまた、さまざまな課題が指摘されており、そのために私たちは批判を受けている慰安婦のわれわれの記事を説明したいと思います。

(元記事) 様々な批判、指摘を頂いている慰安婦報道についても説明します。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

In the Aug. 5 morning edition's special coverage titled "Thinking about the comfort women issue," the Asahi retracted articles based on testimony judged to be a fabrication that was provided by the late Seiji Yoshida about forcibly taking away comfort women from Jeju Island, South Korea.

(直訳)8月5日付朝刊の特集「慰安婦問題を考える」で朝日新聞は故吉田清治から提供された韓国・済州島から慰安婦を強制連行した証言は作り物と判断して記事を撤回しました。

(元記事)朝日新聞は8月5日付朝刊の特集「慰安婦問題を考える」で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく記事について、証言は虚偽と判断して取り消しました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

We made that decision on the thinking that in order to look squarely at the comfort women issue, which has as its themes the dignity and human rights of women during war as well as overcoming and reconciliation of past history, we had to admit to past errors in Asahi reporting on the issue and to advance our original arguments seeking to construct relationships of mutual trust with neighboring nations in Asia.

(直訳)私たちは、戦時時の女性の尊厳と人権、過去の歴史の克服と和解をテーマとする慰安婦問題を直視するために、私たちは過去の朝日新聞のこの問題に関する報道のエラーを認める必要があり、アジアの近隣諸国との信頼関係を構築しようとしている私たち独自の(元来の)主張を進めていくと決断をした。

(元記事)戦時の女性の尊厳と人権、過去の歴史の克服と和解をテーマとする慰安婦問題を直視するためには、この問題に関する過去の朝日新聞報道の誤りを認め、そのうえでアジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす私たちの元来の主張を展開していくべきだと考えたからです。

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There is absolutely no change in our standing on that point.

(直訳)その点で私たちの地位に変更は絶対にありません。

(元記事)この立場はいささかも揺らぎません。

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※ なるほど、じっくり読めば日本語でも気づけたのですが、この文章でわかりました。
朝日新聞は「慰安婦問題」を「戦時中の女性の尊厳と人権」の問題だけではなく「過去の歴史の克服と和解」ととらえているのです。
また、
『そのうえでアジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざす私たちの元来の主張を展開していくべき』
この一文にもあるように、『私たちの元来の主張を展開していく』と決めているのですから、謝罪などできるわけもないのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

However, we have received criticism for the lack of words of apology even though the articles were retracted.

(直訳)しかしながら、記事を取り消しても謝罪の言葉の欠如のための批判を受けています。

(元記事)ただ、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、批判を頂きました。

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※ やっぱり何も分かろうとしていないことが十二分に理解できる一文です。
 「訂正したのに謝らない」→「だったら謝ればいいんでしょ」こんな理解なのですか?
 多くの人は、その記事によって多くの日本人が何十年間も傷つけられてきたことにに怒っているのです。
 これは池上彰さんのコラムに対する返答なのでしょうか?

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While we did say we "reflect on the fact that there was insufficient information-gathering to support those articles," I now painfully realize that we should have taken a more humble approach as a journalism that strives to provide reporting based on facts.

(直訳)私たちは「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としましたが、私は今痛いほど、私たちは事実に基づいて報道とするジャーナリズムとして、より謙虚なアプローチをとる必要があることを認識しています。

(元記事)「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきであったと痛感しています。

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I apologize to our readers for publishing erroneous articles related to Seiji Yoshida as well as for the failure to issue the correction earlier.

(直訳)私は吉田清治氏に関連する誤った記事を掲載したこと、それだけではなく、早い訂正ができなかったことについて読者に謝罪いたします。

(元記事)吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします。

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※ さて、事前に書いたように
原発に関しては「we (also) offer deep apologies」=「深くおわびいたします。」吉田清治に関しては「I apologize to A for ~」=「Aに対し、~の件でおわびいたします」です。
やはり、かなり軽い謝罪ですね。しかもWeとIも異なります。
それは、原発の謝罪の時には3人立ち上がり(we)頭を下げた( offer deep apologies)のに対して
吉田清治証言の時には立ち上がりもせず(I)頭も下げないわけです。(I apologize to A for ~)

また、謝罪しているのは吉田清治証言「だけ」で、挺身隊との混同や強制連行を示す資料がなかったことには一切触れていません。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

Regarding our coverage of the comfort women, we will set up a new third-party organ apart from the
PRC that consists of experts outside of the Asahi, such as lawyers, historians and journalists.

(直訳)慰安婦のわれわれの記事については、PRCとは離れた朝日の外部の弁護士、歴史家やジャーナリストなどの専門家から構成される第三者委員会を構成します。

(元記事) 慰安婦報道については、PRCとは別に社外の弁護士や歴史学者、ジャーナリストら有識者に依頼して第三者委員会を新たに立ち上げ、

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※ 第三者委員会の中心メンバーについてどこかで見た記憶があるのですが忘れました。名古屋の元高等裁判所
の裁判官だったと記憶しているのですが。

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We will ask the panel to conduct a thorough examination, based on the voices of doubt that have been
submitted to the Asahi, and look into such issues as the process behind the writing of the past articles and the developments that led to the correction; the appropriateness of the latest special coverage; and the effects that Asahi's reporting on the comfort women had on the international community, including Japan-South Korea relations.

(直訳)私たちは、朝日に寄せられた疑問の声に基づいて、過去の記事の作成や訂正の背後にあるプロセス、最新の特集の妥当性、朝日新聞の慰安婦に対する報道が、日韓関係を含む国際社会に与えた効果をなどの問題を検討し、精密な検証を実施するように、委員に依頼します。

(元記事)寄せられた疑問の声をもとに、過去の記事の作成や訂正にいたる経緯、今回の特集紙面の妥当性、そして朝日新聞の慰安婦報道が日韓関係をはじめ国際社会に与えた影響などについて、徹底して検証して頂きます。

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 We will ask this panel to also conduct its examination in a prompt manner, and we will present the
results in the pages of the Asahi.

(直訳)また、迅速な方法で、その審査を行うよう、この委員(委員会)を聞いてきます、そして私たちは朝日
(新聞)のページで結果を発表します。
(元記事)こちらもすみやかな検証をお願いし、その結果は紙面でお知らせします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

Investigative reporting such as the Yoshida testimony as well as reporting that focuses on negative
aspects of past history, such as the comfort women issue, can only be made possible with the deep
trust of our readers in the articles appearing in the Asahi.

(直訳)吉田調書のような調査報道や、同様に慰安婦問題―過去の歴史の負の側面に焦点を当てた報道など、唯一、朝日にの記事に対する読者の厚い信頼で可能にすることができる。

(元記事) 吉田調書のような調査報道も、慰安婦問題のような過去の歴史の負の部分に迫る報道も、すべては朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼があってこそ成り立つものです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

We will use the latest situation as a major lesson and will listen humbly to various opinions and
criticism. We will return to our original intent and reconstruct a reporting stance that emphasizes
accuracy of the articles above all.

(直訳)私たちは、今回の状況を主要な教訓として、さまざまな意見や批判に謙虚に耳を傾けます。

(元記事)わたしたちは今回の事態を大きな教訓としつつ、さまざまなご意見やご批判に謙虚に耳を澄まします。

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We will return to our original intent and reconstruct a reporting stance that emphasizes
accuracy of the articles above all.

(直訳)私たちは、本来の意図に戻り、何よりすべての記事の正確さを強調する報告スタンスを再構築します。

(元記事)そして初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

I ask all of you to strictly watch over our future efforts in such matters.

(直訳)私たちの今後の取り組みを厳しく見守るように、私はみなさまにお願いいたします。

(元記事)そうした弊社の今後の取り組みを厳しく見守って頂きますよう、みなさまにお願い申し上げます。

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ここからは資料になります。
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http://www.asahi.com/articles/SDI201409125171.html

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I apologize to our readers and other people concerned By TADAKAZU KIMURA/ President of The Asahi Shimbun
△△△△△△△△△△△△△△
2014年9月12日02時25分

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The Asahi Shimbun independently obtained a copy of the "Yoshida Testimony" at a time when the central government had not yet released the document compiled by the government's Investigation Committee on the Accident at the Fukushima Nuclear Power Stations of Tokyo Electric Power Co. The first article about that testimony appeared in the morning edition on May 20, 2014.

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The article reported that "about 650 TEPCO and other workers, or 90 percent of the total number who were at the Fukushima No. 1 nuclear plant on the morning of March 15, 2011, four days after the Great East Japan Earthquake, went against the order by plant manager Masao Yoshida to wait for further instructions and withdrew to the Fukushima No. 2 nuclear plant 10 kilometers to the south."

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While introducing the comments made by Yoshida, the article drew the lessons of the severe accident and called on the central government to release the entire document.

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However, as a result of a detailed internal examination, the judgment was made that it was a mistaken article that gave the impression that many TEPCO employees had abandoned the plant because it reported that they had "withdrawn against the order," which was based on an erroneous appraisal made in the course of reading and trying to understand the Yoshida testimony.

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We retract the article that reported they had "withdrawn against the order," and we also offer deep apologies to readers and those at TEPCO.

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In line with this, Nobuyuki Sugiura, who is in the highest position of responsibility in the news department, will be relieved as executive editor. Disciplinary measures will also be taken for others involved in the matter.

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Of course, I cannot avoid responsibility as the top leader in charge of management. I seriously consider the situation a crisis because it is not limited to the article in question, but it has greatly damaged the trust of our readers in the company as a whole.

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I will make a prompt decision on whether I should resign after I play a leading role in setting the course toward revitalization of the company through a drastic reform centered on the news department.

---------------------------

During that time, I will return my entire remuneration as president.

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If the Asahi had not reported on the Yoshida testimony based on its independent information-gathering, the contents of that testimony would likely have never been known by the public. Because we felt there was a major significance in bringing the matter before the public, it is extremely painful that the reporting contained erroneous contents.

---------------------------

At the present time, we believe the reason lies in such overlapping factors as the assumptions held by those involved and insufficient checking of the article. We will set up at an early stage a committee centered on the new executive editor to work toward regaining trust and revitalization. From all possible perspectives, the panel will bring to light the various problems that arose in the information-gathering and reporting and study what is now required to regain the trust of our readers with the resolve to start again from zero.

---------------------------

At the same time, I have asked the Press and Human Rights Committee (PRC), an internal third-party organ of  The Asahi Shimbun, to conduct an examination of the effects that were brought about because of the erroneous article. I will ask the panel to conduct its examination in a prompt manner, and we will present the results in the pages of the Asahi.
---------------------------

I also want to explain our coverage of comfort women for which various issues have been pointed out and for which we have received criticism.

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In the Aug. 5 morning edition's special coverage titled "Thinking about the comfort women issue," the Asahi retracted articles based on testimony judged to be a fabrication that was provided by the late Seiji Yoshida about forcibly taking away comfort women from Jeju Island, South Korea.

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We made that decision on the thinking that in order to look squarely at the comfort women issue, which has as its themes the dignity and human rights of women during war as well as overcoming and reconciliation of past history, we had to admit to past errors in Asahi reporting on the issue and to advance our original arguments seeking to construct relationships of mutual trust with neighboring nations in Asia. There is absolutely no change in our standing on that point.

---------------------------

However, we have received criticism for the lack of words of apology even though the articles were retracted. While we did say we "reflect on the fact that there was insufficient information-gathering to support those articles," I now painfully realize that we should have taken a more humble approach as a journalism that strives to provide reporting based on facts.

---------------------------

I apologize to our readers for publishing erroneous articles related to Seiji Yoshida as well as for the
failure to issue the correction earlier.

---------------------------

Regarding our coverage of the comfort women, we will set up a new third-party organ apart from the PRC that consists of experts outside of the Asahi, such as lawyers, historians and journalists. We will ask the panel to conduct a thorough examination, based on the voices of doubt that have been submitted to the Asahi, and look into such issues as the process behind the writing of the past articles and the developments that led to the correction; the appropriateness of the latest special coverage; and the effects that Asahi's reporting on the comfort women had on the international community, including Japan-South Korea relations. We will ask this panel to also conduct its examination in a prompt manner, and we will present the results in the pages of the Asahi.

---------------------------

Investigative reporting such as the Yoshida testimony as well as reporting that focuses on negative aspects of past history, such as the comfort women issue, can only be made possible with the deep trust of our readers in the articles appearing in the Asahi.

---------------------------

We will use the latest situation as a major lesson and will listen humbly to various opinions and criticism. We will return to our original intent and reconstruct a reporting stance that emphasizes accuracy of the articles above all.

---------------------------

I ask all of you to strictly watch over our future efforts in such matters.

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みなさまに深くおわびします 朝日新聞社社長
2014年9月12日03時07分
 
■朝日新聞社社長・木村伊量
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 朝日新聞は、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が作成した、いわゆる「吉田調書」を、政府が非公開としていた段階で独自に入手し、今年5月20日付朝刊で第一報を報じました。その内容は「東日本大震災4日後の2011年3月15日朝、福島第一原発にいた東電社員らの9割にあたる、およそ650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した」というものでした。吉田所長の発言を紹介して過酷な事故の教訓を引き出し、政府に全文公開を求める内容でした。

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 しかし、その後の社内での精査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、「命令違反で撤退」という表現を使ったため、多くの東電社員の方々がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になったと判断しました。「命令違反で撤退」の記事を取り消すとともに、読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします。

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 これに伴い、報道部門の最高責任者である杉浦信之編集担当の職を解き、関係者を厳正に処分します。むろん、経営トップとしての私の責任も免れません。この報道にとどまらず朝日新聞に対する読者の信頼を大きく傷つけた危機だと重く受け止めており、私が先頭に立って編集部門を中心とする抜本改革など再生に向けておおよその道筋をつけた上で、すみやかに進退について決断します。その間は社長報酬を全額返上いたします。

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 吉田調書は、朝日新聞が独自取材に基づいて報道することがなければ、その内容が世に知らされることがなかったかもしれません。世に問うことの意義を大きく感じていたものであるだけに、誤った内容の報道となったことは痛恨の極みでございます。

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 現時点では、思い込みや記事のチェック不足などが重なったことが原因と考えておりますが、新しい編集担当を中心に「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を早急に立ち上げ、あらゆる観点から取材・報道上で浮かび上がった問題点をえぐりだし、読者のみなさまの信頼回復のために今何が必要なのか、ゼロから再スタートを切る決意で検討してもらいます。

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 同時に、誤った記事がもたらした影響などについて、朝日新聞社の第三者機関である「報道と人権委員会(PRC)」に審理を申し立てました。すみやかな審理をお願いし、その結果は紙面でお知らせいたします。

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 様々な批判、指摘を頂いている慰安婦報道についても説明します。朝日新聞は8月5日付朝刊の特集「慰安婦問題を考える」で、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく記事について、証言は虚偽と判断して取り消しました。戦時の女性の尊厳と人権、過去の歴史の克服と和解をテーマとする慰安婦問題を直視するためには、この問題に関する過去の朝日新聞報道の誤りを認め、そのうえでアジアの近隣諸国との相互信頼関係の構築をめざ
す私たちの元来の主張を展開していくべきだと考えたからです。この立場はいささかも揺らぎません。

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 ただ、記事を取り消しながら謝罪の言葉がなかったことで、批判を頂きました。「裏付け取材が不十分だった点は反省します」としましたが、事実に基づく報道を旨とするジャーナリズムとして、より謙虚であるべきであったと痛感しています。吉田氏に関する誤った記事を掲載したこと、そしてその訂正が遅きに失したことについて読者のみなさまにおわびいたします。

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 慰安婦報道については、PRCとは別に社外の弁護士や歴史学者、ジャーナリストら有識者に依頼して第三者委員会を新たに立ち上げ、寄せられた疑問の声をもとに、過去の記事の作成や訂正にいたる経緯、今回の特集紙面の妥当性、そして朝日新聞の慰安婦報道が日韓関係をはじめ国際社会に与えた影響などについて、徹底して検証して頂きます。こちらもすみやかな検証をお願いし、その結果は紙面でお知らせします。

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 吉田調書のような調査報道も、慰安婦問題のような過去の歴史の負の部分に迫る報道も、すべては朝日新聞の記事に対する読者のみなさまの厚い信頼があってこそ成り立つものです。

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 わたしたちは今回の事態を大きな教訓としつつ、さまざまなご意見やご批判に謙虚に耳を澄まします。そして初心に帰って、何よりも記事の正確さを重んじる報道姿勢を再構築いたします。そうした弊社の今後の取り組みを厳しく見守って頂きますよう、みなさまにお願い申し上げます。

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2014年9月13日土曜日

今、読んでいる本について

多くの検証記事が、新聞報道を元に行われているのがどうしても気になっているところです。
その当時の雰囲気を抜きに、記事の活字だけを見ても仕方ないと思い、
慰安婦問題に関しては複数の本を読みながら考えています。

一番読みたい吉田清治の「私の戦争犯罪」がなかなか入手できないので困っております。


1978年 従軍慰安婦(千田夏光)

1991年 ソウルの風の中で(植村隆)

1993年 「従軍慰安婦」にされた少女たち(石川逸子)

1999年 慰安婦と戦場の性 (秦 郁彦)

2003年 女性に対する暴力をめぐる10年(ラディカ・クマラスワミ)

2006年 従軍慰安婦(山田盟子)

2014年 「慰安婦虚報」の真実(前田恵司)

2014年9月8日月曜日

アジア戦争犠牲者を追悼 1986年7月9日


吉田清治氏が取り上げられた最初の記事とされるもの
正直、最初見つけた時はなんてことない記事だな・・・・・・と思っていたのですが、
打ち込んでみて、おやおや?おやおや?と思う記事でした。


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1986年(昭和61年)7月9日 22面

アジア戦争犠牲者を追悼
8月15日、タイと大阪で集会

元捕虜・通訳ら参加
体験語り、平和誓い合う

 第二次大戦で犠牲になったアジアの人たちを追悼する集会が、終戦記念日の八月十五日、「死の鉄道」で名高い泰緬(たいめん)鉄道の要所、タイ・カンチャナブリと大阪で同時に開かれる。タイでは鉄道建設で死んだ連合軍捕虜現地労働者を慰霊するために、元陸軍省通訳が建てたタイ式寺院に、「ロームシャ」と呼ばれた当時の労働者やその遺族らが集まる。大阪ではタイ、韓国、シンガポールなどから戦争体験を語り、日本人とともにアジアの平和を誓い合う。



 集まりは「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む集会」。
 大阪集会は、八月十五日午前十時から大阪市東区森ノ宮中央一丁目のピロティホールで。タイ・カンチャナブリの戦争博物館長ティーパンヤ・スティー師、韓国原爆被害者の辛泳主洙会長、祖父が日本軍に捕まったまま行方不明になったシンガポールの新聞「南洋・星洲聯合早報」東京特派員の陸培春氏らが日本軍の侵略行為と被害者の感情を証言する。日本側からは戦争中「山口県労務報国会下関支部」動員部長として従軍慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たった吉田清治さん(七二)=千葉県我孫子市=が体験を話す。

 タイ会場は、映画「戦場にかける橋」で知られるクワイ河鉄橋のすぐそば。通訳として泰緬鉄道建設にかかわった岡山県倉敷市大島、英語塾経営永瀬隆さん(六八)が、私費とタイ人の協力で今年二月に完成させた「クワイ河平和寺院」に、新たにできる日本式庭園の完成式を兼ねた集会。
 現地で今も日本語で残っている「ロームシャ」として鉄道建設に加わったマレーシア人のトム・ユーさん(五七)とその家族、タイ在住華僑、僧りょらが出席する。日本から永瀬さんと一般募集の約十人が加わる。

 今回の催しは昨秋、関西大非常勤講師(日本史)の上杉聡さん(三八)が朝日新聞誌上で「アジア戦没者遺族を招き、合同慰霊祭を」と呼びかけたのが、きっかけ。上杉さんが中心になって準備を重ね宇都宮徳馬参議院議員、随筆家の岡部伊都子さん、作家の瀬戸内寂聴さんら三十一人が呼びかけ人になった。

 上杉さんは政府主催の全国戦没者追悼式典で弔われるのは軍人、軍属と、原爆、空爆による日本人だけ。二千万を越すといわれるアジアの犠牲者は、一度もまとまって追悼されていない。靖国神社公式参拝などアジアの人を逆なでする動きが強まり、外国人に指摘されないと反省しない」と話している。

 タイ集会への参加費は約二十五万円。申し込みは集会事務所(〇六-五六二-七七四〇)へ。

アジアの戦争犠牲者の追悼集会が開かれるタイ・カンチャナブリの「クワイ河平和寺院」

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(参考):泰緬鉄道
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E7%B7%AC%E9%89%84%E9%81%93



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なんだか、ぶつぎりの文章だな、と思ったこのニュース。
後、思ったのは登場人物の多さと文章後半のおやおや、という感覚です。


(登場人物)
「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む集会」。
(大阪)
タイ・カンチャナブリの戦争博物館長ティーパンヤ・スティー師、
韓国原爆被害者の辛泳主洙会長、
シンガポールの新聞「南洋・星洲聯合早報」東京特派員の陸培春氏


「山口県労務報国会下関支部」動員部長吉田清治さん(七二)

(タイ)
通訳として泰緬鉄道建設にかかわった岡山県倉敷市大島、英語塾経営永瀬隆さん(六八)
鉄道建設に加わったマレーシア人のトム・ユーさん(五七)とその家族、
タイ在住華僑、僧りょらが
日本から永瀬さんと一般募集の約十人。

(よびかけ人)
昨秋(1985年秋)、関西大非常勤講師(日本史)の上杉聡さん(三八)が
朝日新聞誌上で「アジア戦没者遺族を招き、合同慰霊祭を」と呼びかけた。
上杉さんが中心
宇都宮徳馬参議院議員、
随筆家の岡部伊都子さん、
作家の瀬戸内寂聴さんら三十一人が呼びかけ人。

(主張)
上杉さんは政府主催の全国戦没者追悼式典で弔われるのは
軍人、軍属と、原爆、空爆による日本人だけ。
二千万を越すといわれるアジアの犠牲者は、一度もまとまって追悼されていない。

靖国神社公式参拝などアジアの人を逆なでする動きが強まり、
外国人に指摘されないと反省しない」と話している。



なんだ、このどこかでみたような内容は・・・・・・・・・・


そして!

2014年9月7日日曜日

ASAのみなさまへ  2014年8月28日

写真が見れましたので、文字に書き起こしてみました。
1行の文字数を元の文章に合わせたので、改行がおかしいところがありますが、お許しください。

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ASAのみなさまへ                                                                                               2014年8月28日
                                                                                                            取締役販売担当 細見 孝
                                                                                                           取締役編集担当 杉浦信之

 いつも朝日新聞の配達、普及活動にご尽力を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて昨今、日韓関係が冷え込み、慰安婦問題が焦点となる中、朝日新聞の過去の報道に対して、
いわれなき批判が起きていました。読者やASAの皆様方から「なぜ反論しない」といった声やご
意見をいただくようになりました。
 弊社は、8月5日と6日に特集「慰安婦問題を考える」を掲載いたしました。これに対して、さ
まざまな議論が起きていることから、ご説明をいたします。

 17年前の1997年、弊社は韓国・済州島で「慰安婦狩りをした」とする吉田清治氏の証言に
ついて、調査結果を掲載しました。この吉田証言に疑問があることを明示し、「済州島の人たちか
らも、吉田氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」と報じています。吉田氏
は当時、朝日新聞の見解について「反論するつもりはない」としていました。このように、この問
題について弊社は、1982年の初報から32年にわたって放置してきたわけでは全くありません。

 そうした経緯を踏まえることなく、また、吉田証言は他のメディアも報じていたにもかかわらず、
弊社のみを批判する動きがありますが、弊社はまず、国際社会の中で正しい日本の未来を目指す議
論を始めるには、この特集で過去の記事の誤りを正すことが最初に必要だと判断しました。綿密な
取材の結果、吉田証言を虚偽と報じ、過去の記事の一部を取り消しました。初期段階で起きた「慰
安婦」と「女子挺身隊」の御用も認めました。読者の皆様に反省の気持ちをお伝えし、変わらない
姿勢で慰安婦問題を報じ続けていくことを誓いました。

 特集掲載後、一部の新聞やテレビ、雑誌、ネット等では「朝日が誤報を認め、河野談話の『根幹』
が崩れた」と根拠のない主張が繰り返され、「慰安婦問題そのものが捏造」などと全く筋違いの見
解まで示されています。しかし、吉田証言の虚偽を明らかにし、一部の記事を取り消したからとい
って、慰安婦をめぐる「すべてのことがなかった」というのは誤りで、こうした論調は国際的には
全く通用しません。慰安婦問題の本質は、戦場で自由を奪われていた女性たちに現代の日本がどう
向き合うかという人権、人道の問題です。日本政府が河野談話は見直さないという方針を示してい
るにもかかわらず、人間の尊厳を軽視するような論調こそが、むしろ国際社会の中で日本が異端視
され、孤立することにつながります。

 6年後には東京で五輪が開催されます。日本が国際社会のなかで重要な役割を担い、近隣諸国と
の協調が求められる時代を迎えるにあたって、弊社はこれからも本質をとらえた報道を続け、読者
の皆様、ASAの皆様の期待に応え、これまで以上に信頼を得ていくことをお約束いたします。

 この問題に対する読者の皆様の思いは多様です。こうした読者の思いと直に接しておられるAS
Aの皆様には、大変なご苦労をおかけしておりますが、弊社の報道姿勢にぜひご理解を賜り、これ
までに増して叱咤激励をいただければとお願い申し上げます。

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