自己紹介

今回の記事をとにかく後に残せるような資料にしたい。

2014年9月6日土曜日

【朝日新聞記事】慰安婦の痛み、切々と 1991年8月12日

1991年(平成3年)8月12日 26面
-----------------------------
慰安婦の痛み、切々と

韓国で聞き取り
-----------------------------
【ソウル10日=植村隆】

 日中戦争や第二次大戦の際、戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強
いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内で生存していること
がわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三
十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテー
プを朝日新聞記者に提供した。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、
やっと開き始めた。
 尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる

 女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、二、三百人の部隊が
いる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の
朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本
名を付けられ、毎日三、四人の相手をさせられた、という。
 「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように
思い続けた」という。数か月後に逃げることができ、戦後ソウルに落ち着いた
。結婚したが夫も子供も亡くなり、現在は生活保護を受けて、暮らしている。
-----------------------------

この記事には解説が必要かもしれません。
件の植村隆記者の記事ですが、大阪版と東京版では冒頭の表現が異なるそうです。
(参考)
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/ianfu/ianfu-asahi-2.html

大阪版では
-----------------
日中戦争や第2次大戦の際、女子挺身隊 の名で戦場に連行され 、
日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、
 1人がソウル市内に生存していることがわかり、
--------
となっているそうです。


また、
週刊文春(9月4日号)によると
(1990年夏には)「清算されない昭和」という写真集の取材で韓国を訪れ、慰安婦探しに精を出したが、  結局その時は見つけられなかったという。
『彼が当時、遺族会の事務所に出入りする中で手伝いをする私の娘と知り合って仲良くなったようです。 付き合っていると聞いたときは驚きました。植村自身も付き合っている相手が(遺族会幹部である) 私の娘だとは知らなかったようです。韓国の風習で娘は私の夫の名字を名乗っていましたから』
(植村記者の義理の母にして遺族会会長ヤンスニム氏(69))

だそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿